1973~1981年
第6章 創業者の死去と輸出基盤の強化、現地生産の進展
第5節 化工品、スポーツ事業とサイクル事業
第1話 FRP製品、建築用品への進出
パネル水槽などのFRP製品への進出
1972年、工業用品販売部はFRP高架水槽を外注生産で発売しました。その後、パネル式の組立水槽の開発に取り組み、1974年に試作品を完成させました。
建築業界では、コンクリート受水槽の水質汚染が問題化していたため、当社はFRP製パネル水槽のテスト販売を行いながら、技術・販売ノウハウの蓄積を続けました。
1976年以降、当社のパネル水槽需要は急増。当初は、小平の試作工場で生産していましたが、1977年、横浜工場に本格的な生産設備を設けて生産を開始しました。
1978年、宮城県沖地震では、当社のパネル水槽の被害が極めて少なく、優れた耐震性が実証されました。耐震性のPR活動や、販売網強化によってパネル水槽の売上げは大きく伸びましたが、その後は新規メーカーの参入が相次ぎ、厳しい競争の時代を迎えることとなりました。
建築関連用品への進出
1972年、防振ゴム部門は、非自動車用分野への用途拡大を図り、1973年に床下地材「防振アジャスターフロア」(ユニットフロアの旧称)の開発に着手。久留米に建設中であった当社体育館で実地施工したところ、大幅に工期を短縮することができました。これが「ユニットフロアG」です。1975年、学校体育館に初めて採用され、1980年末には学校・体育館での累計実績は千カ所を超えました。
1974年には、集合住宅用床下地材「ユニットフロアL」の開発に着手しました。集合住宅の騒音が社会問題化していたこともあり、日本住宅公団から遮音床工法として好評価を得て本格採用されることとなりました。民間マンション業者からの受注も多くなり、化工品の主力商品の一つに成長しました。
第2話 ゴルフボールの新機軸 - ADレクスターの開発
高級ゴルフボールの分野では、日本ダンロップ護謨がダンロップ65、マックスフライを国産化して以降、同社にリードを許していました。
当社は、高級ボール「レクスター」、耐カット性を強化した「イーグルS」、尾崎将司プロのニックネーム入りの「ジャンボ」を発売するなど、ラインアップの充実に努めました。当社のゴルフボール生産量は、ゴルフ人口の急増にも支えられ、1965年からの10年間で4倍強に伸長しました。
1977年、「ADレクスター」を発売。このボールは従来あまり深く追求されていなかったディンプルに焦点を当て、その形状、数、配列とボールの球筋との関係を分析し、さらにボールの材料や構造の違いによって、どのようなディンプルが最適なのかを、コンピュータを駆使して開発したものでした。製造工程も合理化し、自動化・連続化を一段と進め、一人当たり生産性は2倍強、工程不良率は3分の1以下になるなど、大幅に改善されました。
ADレクスターの成功を受けて、オールディンプル(AD)化を開始し、1978年に「ADイーグル」、1979年にはAD化した「ニュージャンボ」を発売しています。
第3話 サイクル事業の製販統合と事業の拡大
当社は1966年、オートバイの国内販売を中止し、輸出も1971年に停止しました。1971年、当社は販売業務をブリヂストンサイクルに移管し、同社は19年ぶりに生産・販売一体の自転車メーカーとして再スタートを切りました。
同社は1970年に伊賀工場、1971年に騎西工場、1976年に佐賀工場の操業を開始し、生産能力の拡充を進めました。同社は1963年には、すでに国内シェアで業界トップに立っていましたが、オートバイ事業撤退後の積極的な施策展開により、1970年代には業界トップの座をさらに強固なものにしました。