1973~1981年
第6章 創業者の死去と輸出基盤の強化、現地生産の進展
第3節 販売網の再編と相次ぐ新商品の発売
第1話 タイヤ販売会社の再編成と販売管理の機械化
販売会社の再編
石油危機を経て日本経済が安定成長へ移行すると、販売会社にもより効率的な経営姿勢が求められることとなり、販売会社の経営体質の見直しと再編成が進められました。
販売会社の再編成は、テリトリー重複による訪問・配送のロスの排除、間接部門の効率化などを目的に実施されました。1975年以降、合併によって大型販売会社が次々と誕生しました。
販売管理の機械化 - DOTシステムの完成
販売会社の体質改善を図るためには、当社と販売会社を一体化したトータルな販売情報システムを開発する必要がありました。そこで全国の販売会社、同営業所約610ヵ所(当時)と当社の本社、支店、倉庫に専用の端末機を設置し、通信回線で結ぶ全国的情報ネットワーク「DOTシステム」を1980年に構築しています。
第2話 スチールラジアルの新商品
パンクシーリングタイヤ「MAXEAL」の発売
乗用車用タイヤでは、チューブレス化とスチールラジアルの普及により、釘踏みなどに起因するパンクは大幅に減少していましたが、より高い耐パンク性を目指し、パンクシーリングタイヤ「MAXEAL(マクシール)」を開発し、1976に2商品を発売しました。
タイヤの内面に粘着性のシーリング剤を塗布し、釘がスチールベルトを貫通し、それが走行中に抜けた場合や停車時に抜いた場合でも、シーリング剤が穴をふさいでエア漏れを防ぐ構造となったものです。
シーリング剤が黄色であったことから、「黄色いゴムがタイヤを変えた」のキャッチフレーズで販売促進活動を実施しましたが、予想に反して販売が大きく伸びることはなく、「MAXEAL」の生産は2商品のみで終了することとなりました。
スーパーフィラーラジアルの誕生
タイヤの軽量化、低燃費化を達成するためには、新しいタイヤ構造と、それを可能にする新素材の開発が必要でした。
技術陣は、構造解析法「FEM法」(有限要素法)をタイヤに応用した結果、ラジアルタイヤの理想である剛(クラウン)-柔(サイド)-剛(ビード)の剛性バランスを、どのようにとれば良いかという結論を得ました。しかしそれを製品に織り込むには、従来のビードフィラーと異なる硬質の新素材を開発する必要がありました。
1977年材料部門は、プラスチックに近い硬さとゴム本来の弾力性をもつ超硬質ゴム「スーパーフィラー」の開発に成功。この超硬質ゴムをビード部に採用することで、サイド部を大幅に柔らかくした新しいタイヤ構造が可能となりました。
この剛-柔-剛構造を「スーパーフィラー構造」と名付け、1978年、同構造を採用した「RD-207V」を発売しています。
高性能ラジアルタイヤ「ポテンザ」の誕生
1979年春、サーキット走行を主目的とする「RE47」を発売し、各レースで勝利を重ねました。このタイヤを母体として、一般公道用でありながらレーシングタイヤに近い構造、性能を持った高性能タイヤとして、同年「ポテンザRE47」を発売。
スーパーフィラー構造、高いグリップ力を持つトレッドコンパウンド、ストレート溝を主体としたトレッドパタンなどを採用したこのタイヤは、大きな人気を呼びました。購買層をカーマニア層に絞り込み、モータースポーツイメージを前面に押し出して販売。発売当初は販売チャネルをブリヂストンタイヤショップなど一部に限定したほか、タイヤ発売に合わせて「ポテンザ」ブランドのアルミホイールを発売するなど、従来にない新しい販売施策を展開しました。