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1937~1949年

第3章 第二次世界大戦下の経営と戦後経営の基盤

第3章 第二次世界大戦下の経営と戦後経営の基盤 1937~1949

第1節 第二次世界大戦前後の世界および日本のタイヤ業界の動向

米国では

米国のタイヤメーカー各社は1930年代後半頃になって大恐慌の影響を脱し、過去最高の売上高を記録するようになりました。技術革新の面では、木綿コードに代わり1938年にはレーヨンを使用した乗用車用タイヤが市場に出回るようになり、さらに1942年にナイロンが軍用タイヤに、その後1947年には一般用タイヤに使用されるようになりました。こうした変遷により、耐久性が大幅に向上し、軽量化にもつながりました。
1942年頃に米国は戦時体制に入り、ゴムメーカー各社ではガスマスク、航空機用燃料タンク、輸送機用の翼、戦闘機などの多種多様な軍需品を製造するようになりました。
また、天然ゴムの供給が急激に減少したため、合成ゴムメーカー各社は合成ゴム軍需工場を操業しました。

欧州では

欧州では、1921年頃の仏のミシュラン、伊のピレリ両社によるラジアルタイヤの試作以降、ラジアル構造の研究が進みました。第二次世界大戦後、ミシュランは1946年にラジアル構造の地下鉄用スチールタイヤを発売。続いて1948年には乗用車用タイヤ「X」ラジアルを発表しました。このラジアルタイヤは従来品に比較し、走行距離が非常に長くなったため「X」と命名されました。

日本では

1937年の日中戦争の勃発を契機に、国内では戦時統制が進み、1938年にはゴム統制規則が公布され、翌1939年にはタイヤについても配給制となりました。
1944年には大日本航空機タイヤ(後のオーツタイヤ。2003年に住友ゴム工業に吸収)、東洋ゴム工業が、1949年には日東タイヤ(現、日東化工)が設立されています。