1949~1960年
第4章 技術革新と量産・量販体制の確立
- 第1節 グッドイヤー社との技術提携と苦境での積極経営
- 第2節 ブリヂストンビルの建設と創立25周年
- 第3節 技術革新と東京工場の建設
- 第4節 国内タイヤ販売活動の強化
- 第5節 輸出の再開と販路の拡大
- 第6節 多角化の動き
第5節 輸出の再開と販路の拡大
輸出の再開
戦後当社は1948年にタイヤの輸出を再開し、1952年には東南アジア、香港、台湾、韓国、沖縄に出張員を派遣して市場調査を始めました。輸出は着実な伸びを示し、タイヤ売上額に占める割合は、1954年の12%が1957年には22%に伸びていたのですが、1957年以降は輸出の伸びは鈍化し、新たな販売強化が必要となってきました。
1949年に輸出部が設置されて以来、輸出の中心は東アジア、東南アジアでしたが、1953年頃からは中近東に出張員を派遣するなどして輸出増大を図っています。1957年の輸出先はアジア58%に対して、中近東も26%を占めるようになりました。
1958年以降は、欧米への輸出を促進するために出張員を欧米諸国にも派遣しました。輸出先をほぼ全世界に拡大していきました。
東南アジア・中近東への拡売
1956年、当社は戦後初の海外拠点としてシンガポール支店を設置、1959年にはバンコクに駐在員事務所を設置し、販路開拓を行いました。その結果販売は伸長しましたが、1958年には大口輸出国であるフィリピン、ビルマ、インドなどが輸入制限を始めたため、アジア向けの売上は前年より40%も落ち込んでしまいました。しかし、他社に先駆けて輸出タイヤをナイロンタイヤに切り替えたことが奏功して売上は翌年から徐々に回復、シェアも上昇しました。
中近東については1953年、輸出部員を初めて出張させ、市場調査と販路設定につとめ、1958年にはテヘラン駐在員事務所を設置しています。この年、イランは当社にとって唯一のタイヤ輸出額100万ドルの市場に成長しました。1955年以降、レバノンのベイルートを基地としてサウジアラビアと周辺諸国および北東アフリカにも出張員を派遣しました。アラブ産油国は1950年代以降、急増した石油収入を利用して経済開発に力を入れ、輸送事業が活発になり、タイヤの需要が激増しつつありました。1959年には、ベイルート駐在員事務所を発足させました。