1992~2000年
第9章 優良企業への復帰とグローバル化の推進、そしてBFS自主回収問題
- 第1節 当社の体質強化
- 第2節 タイヤ事業のグローバル展開の加速
- 第3節 世界各地域のタイヤ事業の動向
- 第4節 化工品部門の挑戦
- 第5節 国内グループ会社の動向
- 第6節 石橋幹一郎取締役相談役の他界
- 第7節 BFS、PSR650万本自主回収へ
第4節 化工品部門の挑戦
第1話 不況期の拡販とコスト改善
化工品部門は、1991年から93年までの3年間で売上高2,000億円の達成を目指しましたが、バブル崩壊以降の経済環境悪化のため、挑戦は一旦頓挫しました。一方、工場の建設や設備の増強など大型の投資を行い、負担は増えていました。
1993年、「拡販とコスト改善」を急速に推進する方針が掲げられ、国際的なレベルでの競争力を備えた事業体質への転換を目指し、コスト改善活動が進められました。結果、1996年には目標をほぼ達成することができました。
第2話 事業の絞り込み
化工品事業を更に拡大していくためには、需要の大きい商品に的を絞り、人、物、金を集中的に投入し、組織も改革する必要がありました。
売上げや利益の少ない商品の整理と、事業の重点付けを行い、建築、土木、電材の重点3分野に経営資源を集中していくことになりました。また、事業を軸として、販売部と開発部をほぼ統合しました。
第3話 電材事業の進展と磐田製造所の設立
伸長著しい電材事業の新たな柱となるファインセラミックス事業において、1999年、世界最高水準の高純度と高導電性を持つ炭化ケイ素セラミックス「ピュアベータ」を開発しました。この「ピュアベータ」は、半導体製造用部品としてのみならず、電子部品用材料としても販売され、販路を拡大しました。
同年、国内4番目の化工品工場として磐田製造所(現、磐田工場)の建設を開始、2000年より量産を開始し、クリーンエネルギーや情報通信関連分野での事業をスタートさせました。