1988~1992年
第8章 ファイアストン社買収と立て直し
第5節 ファイアストン買収前後の日本国内の動向
第1話 支店の廃止と販売会社の統合
1989年、国内7支店の廃止と販売会社の統合を行いました。廃止された支店の人員は、本社の営業部やリテール開発部を中心に再配置されました。販売会社の広域化を実施し、1990年には44社あった出資販売会社は2年後には23社に半減しています。
第2話 スタッドレスタイヤの開発
スパイクタイヤは冬道の交通手段として普及していましたが、スパイクが路面を損傷させ、発生する粉じんが社会問題となっていました。そのような状況の中で、スパイクタイヤの製造・販売中止が決定され、スタッドレスタイヤの性能向上が急務となりました。氷上試験の結果、タイヤの表面の粗さが大きいほど氷上摩擦係数が大きいことがわかり、スポンジのように気泡をとり込んだ「発泡ゴム」の発想が生まれました。
1988年、発泡ゴムを使用した「ブリザックPM-10」「ブリザックPM-20」を発表しました。「スタッドレスならブリザック」と言われるほどの高い評価を得ることができ、冬タイヤの拡販に大きく寄与しました。
第3話 化工品部門の事業展開
輸出の拡充
1980年代後半、化工品の輸出活動は対象商品・市場が広がり、自前の販売網が必要となり、欧州と米国に販売拠点を設けました。
「低コスト最適地生産」のため、1989年、中国に瀋陽普利司通を設立、ビルバオ工場では当社ブランドのコンベアベルトを量産開始しています。また、ゴムクローラ生産技術も移転し、欧州の生産拠点としました。ファイアストン インダストリアル プロダクツ カンパニー(FSIP)には空気バネの生産技術を移管しています。
自動車分野への取り組み
化成品直需部門の売上高は、1986年に200億円をほぼ達成し、1990年の目標300億円に向け拡販戦略をスタートさせました。
自動車シートでは、1990年にシェア30%弱という高いシェアを保持しています。防振ゴム事業では、業界トップ企業の半分以下の売上高という「弱い2位」を「強い2位」にするため、1985年に工業用品直需本部が設置されました。これにより、自動車及び産業用防振ゴム、ゴムクローラの販売、設計・開発・生産が一体化され、更なる事業拡大が図られました。ゴムクローラ事業では「角付きゴムクローラ」や「履替式ゴムクローラ」を開発し、建機用ゴムクローラの需要を大きく創造しました。
電材事業への参入
化成品部門は事務機器用精密・高機能部品の将来性に着目しましたが、精密ゴムやプラスチックの開発体制や技術はほとんどなく、ミクロン単位の精度を要求する商品は皆無という状態でした。そこで当社は、西ドイツ(現、ドイツ)の会社と技術導入の契約を結びました。
精密・高機能事務機器用ローラーの開発に着手し、事務機器メーカーに納入を開始しました。当初は品質や生産性に問題がありましたが、技術力の向上と自動化設備の開発により、1990年には事業化にめどをつけ、技術改善、先行投資により、マグネットローラーのトップメーカーに成長しました。その後も多くの機能部品を投入し、高機能部品メーカーとしての評価を得ています。
「チャレンジ25」の達成
1986年、化工品部門は「新商品比率25%の確保」(1986年は20%弱であった)と「全社に占める化工品売上高比率25%」(1986年は20%強)を目標としました。
売上高は、新商品の投入、既存品のシェアアップ、生産設備の増強が寄与し、1986年の1,000億円から1990年には1,600億円強へと飛躍的に伸びました。
1990年末には、この新商品比率と全社売上構成比を同時達成しています。