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片足だからこそ感じることのできる幸せもある
だから「楽しい」しかない!

秦由加子

  • インタビュー
  • パラトライアスロン
秦由加子

東京2020パラリンピックでは、トライアスロン女子PTS2にて6位入賞を果たした秦由加子選手。手術、リハビリの期間を経て、さらに進化を遂げています。40歳を超えてもなお「過去最高」を目指しながら片足の人生を楽しんでいる秦選手の魅力に迫ります。

いろんなことを考えるきっかけになった東京2020
あの中に身を置けたことが感慨深かった――

― 東京2020は秦選手にとってどういう大会になりましたか?

新型コロナウイルスに感染して苦しんでいる方々がいる中で、スポーツをするということが優先されるべきことなんだろうか......ってすごく考えました。それと、スポーツをすることが生きる上で必須ではないってなると、私たちが取り組んでいることって、一体、何なんだろうって。これまで当たり前だったことが当たり前じゃなくなったことによって、これまでやってきたことの意味を深く考える機会になった大会だったなと感じています。

― 開催が1年延期になったことで影響はありましたか?

練習環境を整えるのはすごく難しかったですね。それまでは海外でも練習をしていたんですけど、それが行けなくなって。でも、幸いなことに「チームゴーヤー」と沖縄で出会うことができました。これは私にとって運命的な出会いでもあったし、延期になった1年間は自分自身がまた強くなるための時間だったので、影響は特になかったです。

― 1年越しに開催された東京2020。レース当日の心境は?

スポーツをやっていることに対して、「こんな大変な時に......」って捉える人もいる中での東京2020。医療従事者の方々、私たちの生活を支えてくださっている全ての方々に感謝の気持ちを持ってレースに望みました。数えきれないくらいの人たちの支えがあったからこそ挑めたレースだったので、レース後のインタビューでは言葉に詰まってしまいました。
大変な状況の中でも開催できたっていうことが、世界中の人たちにとって少なからず「希望」や「生きる力」に繋がったのかなって思うと、スポーツを通じて、私自身がその機会の中に身を置けたということがすごく感慨深かったです。最高のパフォーマンスを出すっていうことは当然ですけど、それ以上にいろんな思いがあっての東京2020になったなって思います。

秦由加子選手

「一筋の希望」を信じて手術を決断
みんなが待っていてくれたことが嬉しかった

― 東京2020後には右足の手術をされました。当時の秦選手は40歳で、それでも手術と厳しいリハビリを乗り越えて復帰を目指そうと自分を奮い立たせたものは何だったのですか?

手術のことはずっと検討していたんです。東京2020でも足の痛みに耐えながらのレースだったので、次のパリ2024パラリンピックではこの痛みがなくなっていたらいいなと思って。でも、手術をしたからといって100%よくなるかどうかは分からない......。「もしかしたら痛みがなく走れるようになるかもしれない!」という可能性に賭けて手術を決断しました。パリ2024も大きな目標ですし、自分自身のこれから先の長い人生を考えた時に、自分の好きなことや、走ること、スポーツをすることをもっと楽しみながらできたらいいなと思って、あのタイミング(2021年11月)で手術をしました。

― 約1年のリハビリ期間を経て、2023年3月に横浜で行われた国際大会での復帰戦では見事優勝でしたね!

手術後のリハビリは思っていた以上に時間がかかりましたし、足を切断した時と同じくらいの痛みが続いていたので「本当に走れるようになるのかな」と不安もありました。でも、パラトライアスロンの選手たちがレースに出た時の写真を共有してくれたり、合宿先からみんなが映像で電話をかけてくれたり。「みんな待ってるからリハビリ頑張ってね!」ってずっと励ましてくれていました。
だから、自分自身がレースに戻れた喜びもあるんですけど、いろんな人たちが待っていてくれたことがすごく嬉しくて......。私がランでフィニッシュする時にはコーチが待っていてくれたんですけど、泣きながら「よかったね」って喜んでくれて。その時はすごくありがたいなと思いましたし、みんなで喜びを共有できるっていうのは、なんて幸せなことなんだろうって感じましたね。

― 復帰した年はフルシーズンを戦い抜いて3勝。どんなシーズンになりましたか?

復帰した3月の時点で完全に元に戻ったかというと、そうでもなくて......。年末ぐらいにやっと走れるようになったものの、筋力は落ちていたし、義足の大きさも不安定でした。3月のレースには出ることができましたが、シーズンを戦いながら元に戻して、さらに強化して......というのに1年間かかったなって。そんなシーズンでしたね。

― 現在、痛みはない状態ですか?

そうですね。前に比べれば断然軽減していますし、痛くなってくる距離が伸びているので、走ることがより楽しくなりました。もちろん、距離が伸びてくると痛みを感じることもありますが、これは義足で走れば誰もが感じるもの。膝を痛める、足首を痛めるなど、痛みと戦いながらスポーツをしている方はたくさんいらっしゃって、それと全く変わらないですね。

― 鉄人レースとも言われるトライアスロン。体のケアはとても重要だと思いますが、リカバリーの仕方で工夫されていることはありますか?

昔と同じような方法ではなかなかリカバリーがついてこなくなってきていますが、そこは知恵を絞って......。ここ最近は、ストレッチや練習前の準備など、とにかく時間をかけています。レース後のケアに関しては、これまでの倍以上の時間をかけて......。40歳を超えてくると、本当に時間がかかるな~って思います(笑)。でもこれは必要な時間。そうしないとパフォーマンスが出ないし、練習の時も体の状態がよくならないので、できる限りのことを時間をかけてやるようにしています。

― 気分をリフレッシュするためにしていることはありますか?

練習の時はコーチや練習パートナーなど、限定された方と一緒に過ごす時間が多いので、オフの時は違う人と過ごすことが多いですね。スポーツを通して色んな人との繋がりを持つことができているので、そのご縁を大切にするようにしています。
あとは、食べることが好きなので、美味しいものを求めがちです(笑)。拠点としている沖縄には、美味しい料理、美味しい食材、美味しいレストランなどがたくさんあるので、そういった美味しいものを食べて、競技活動のパワーにしています。料理も好きなので、冷蔵庫にあるもので作ったりもします。

― ちなみに......よく作る料理は?

何かな~? 野菜を多く摂るようにしていますが、決まった料理ではなく「名もなき料理」ですね(笑)。

秦由加子選手

目指しているのは「過去最高」
手術をしたからここまで来れたところ見せたい

― パリ2024はもう目前です。あと少しの期間、どのように歩んでいきたいと思われますか?

これまで1年間かけて状態を整えてきました。現在は手術前を超えてきていて、5月のワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会ではランで自己ベストを更新できたので、まだまだランは伸びていくなって感じています。
あとは、バイクに関しても強化をずっと続けていて、どんどん良くなってきているので、過去最高の状態でパリ2024に臨めるように、さらに仕上げていきたいなって思います。

― 40歳を超えて「過去最高」っていうのがすごいです! 大会ではひと回り以上年下の選手もたくさんいますが......。

トライアイスロンやパラトライアスロンって、私ぐらいの年代でも強い選手はたくさんいるんですよね。もちろん、私より年上の選手もいます。年齢に関係なく、強い選手は強い! 特にパラトライアスロンでは、競技の歴史がまだまだ浅いでし、いろんな競技をしていた選手が転向してくるケースが多いので経験値が結果に繋がる部分も多いです。
あとは、佐藤圭一さん(セールスフォース・ジャパン所属)は私の2つ上なので、彼がいる限りは......国内では私が一番年上ではないです(笑)。

― パリ2024でのスイムはあの有名なセーヌ川ですね。攻略が難しいコースみたいですが、やはり場所によって全然違ったりするのでしょうか?

そうですね。スイムはレース会場によっては川の時もあれば、海、湖など色んな所でやるので、場所によって全然違います。色んな場所がある中でも私が一番苦手なのは大きな波なんです。自分の身長以上の大きな波が続いているような海外の海もそうだし、少し前に合宿を行っていた宮崎県の海も結構大きな波が来るんですけど、そうなると恐怖で......。怖いって思うだけで「泳げなくなるのでは?」というくらい心拍数が上がってしまうんです。それくらい波に対しては恐怖を覚えていて、大きな波のレースではリタイアすることも毎回脳裏をよぎります。たぶん、こんなにも波に恐怖を感じている選手は自分だけだと......。

― 波が怖いというのは、過去にトラウマ的なものがあるからですか?

はい。過去に海外へ旅行に行った時にボディボードをやったんですけど、溺れかけてしまって......。波にもまれて、もうどっちが上か下かも分かんなくなっちゃったんです。その時の恐怖がずっと残っているので、足がつかない海で泳ぐことは、考えただけで怖いです。
パリ2024のセーヌ川はまだ経験したことがないのですが、小さな波や川の流れには恐怖心はないので、スイム出身の強みが活かせるかなと思っています。

― 改めて、3度目のパラリンピックとなるパリ2024への思いを聞かせてください。

手術をして望むパラリンピックになるので、手術をするという決断をしたことを何とか結果に繋げたいという思いもありますし、家族や執刀医の先生は、「もう1回足を切断してまで、なんでここまでやるの?」って首をかしげていたので、「手術をしたからここまで来れました!」というところを見せたいですね。だからこそ、最高の状態でパリ2024を迎えたいなっていう気持ちは大きいです。
最近感じるのは、東京2020が開催された時の盛り上がりは、今の日本国内では薄れてきているなって。でもこれは決して悪いことではないと思うんです。障がいのある方々がスポーツをするということが、一般的になってきたということでもあるのかなと。「特別感」が薄れてきている中でのパリ2024がどれだけ日本国内で注目されて、どれくらいの人に届くのかなっていうのは楽しみでもあり、ちょっと怖い部分でもあります。
少なくとも東京2020の時とは違う人達が、パリでの「パラリンピック」というものを知ってくれてるはずだと信じていますし、これまでとはまた違った視点で、私たちのレースを見てもらえると思っています。

― 東京2020から手術、リハビリも含めてこれまでの期間で秦選手自身も新しいご縁が広がっているはずなので、その思いは必ず届くと思います。私も届いているうちの1人ですよ!

ありがとうございます!

秦由加子選手

まだまだ夢の途上
現役でやり続けることで可能性の扉をもっと開きたい――

― これからも「現役」にはこだわりますか?

自分が「まだ成長できる!」って思える限りは、やり続けたいと思っています。周りがそれを許してくれるかどうかは分からないですけど(笑)。世界を見ると、自分より年上の選手でもまだまだ諦めていないし、そういう生き方も素敵だなってすごく思うんです。自分の限界を自分で決める必要もないですし。
それに、手術をしたことでようやく痛みが軽減して、本当に走るのが楽しいんです! タイムも走れる距離も伸びてきているので、まだまだがんばらないといけないです。

― 東京2020からこれまでだけでも、たくさんの方が関わってくださっていることを思うと、まだまだ現役ですね!

そうですね。もし私が「もうこれぐらいでいいです」「もうこれだけ走れたら十分です」で終わってしまったら、大腿切断をして走ることに対して「日本ではこれが限界」となってしまうので、「もっと早く走りたい」「もっと長い距離を走りたい」ということを求め続けたいです。
関わってくださっている方々でいうと、義肢装具士さんは人生かけて、私の足を作ってきてくださっています。こうやって一緒にがんばってくださる方と共に、もっと技術を高めていくことができれば、足を切断したとしても、泳ぐこと、バイクに乗ること、走ることに対してもっと可能性が広がっていくと思うんです。だから、私が現役でやり続けることで可能性の扉をもっともっと開いていけたらいいなと思います。

― この先、「秦由加子」が描いている夢を聞かせてください。

いろんなことがありますが、体が不自由になったとしても、もっと活動の幅が広がるような世の中になったらいいなって。例えば、ひと昔前までは視力が悪くなると不自由でしたが、今は眼鏡やコンタクトレンズが当たり前のように存在して、どんどん進化をしています。これと同じように、義足というものがもっと理解されて、いろんなことができるようになったらいいなと思いますし、今は外装(義足を覆うカバー)を使う人がまだまだたくさんいますが、別に隠す必要もなくて......。義足で生活することが自然になれば、ちょっと生きやすくなったり、暮らしやすくなったりするのかなって思います。
あとは......人生が終わる時に、私の家族が「足がなくても、楽しい人生だったね!」って言ってもらえるような人生にすることが一番だと思うので、片足の人生を最後まで楽しんでいけたらいいなと思います。

― 今の時点では楽しまれていますか?

はい。おかげさまで、片足じゃないとできない経験をたくさんしている最中なので、楽しいです!

― 楽しいと思えることは何よりですね! 人生において苦しいこともありますが、その苦しさも含めて楽しいって思えていることが素敵だと思います。

ありがとうございます。片足だから、痛みがあるからできないことが分かっているだけに、それができるようになった時の喜びは計り知れないんですよね。そういった部分で幸せを感じられていますし、会社の人やスポンサーの方々が力を貸してくれているからこそできることもあって、これまでにはなかった環境の中に身を置かせてもらえていることにも幸せを感じます。こうやって「幸せ」を感じながら生きていること自体、もう「楽しい」しかないです!

PROFILE

秦由加子

秦由加子YUKAKO HATA

1981年千葉県出身。3歳から10歳まで水泳を習う。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされてからはスポーツから遠ざかっていたが、2008年に障がい者水泳チームで水泳を再開。2013年にトライアスロンに転向し、リオ2016パラリンピックへの出場を果たした。2021年の東京パラリンピックに連続出場。

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    TEAM BRIDGESTONE 2024 in PARIS

    TEAM BRIDGESTONE 2024 in PARIS

    ブリヂストンは、オリンピックおよびパラリンピックのワールドワイドパートナーとして、パリ2024大会を応援しています。

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