好きだからこそ、邁進できる
秦由加子
パラトライアスロンでは、しばしば「トランジション」が選手を悩ます。秦由加子選手もスイムからバイクへの義足の着用に時間がかかることを長らく課題としてきた。次第にそれがレースの勝敗を分けることが多くなった。そんな彼女は東京2020パラリンピックに向けて、トランジションのタイムロスをなくすことに成功する――。
あの日の決断が、
“苦手”を“強み”に変えてくれた。
― リオ2016パラリンピック以降、ご自身にとって何か大きな変化はありましたか?
大きな変化としては、バイクが強みになったこと。それは、義足をなくせたからです。東京2020に間に合ったことに確かな手応えを感じています。
今まで自分の強みはスイムでした。ほとんどのレースではトップで上がって来れていました。スイムで差を広げて、バイクでぎりぎりトップを保てれば、ランでも逃げ切れるというのが勝ちパターン。ところが、リオ2016パラリンピック後は周りの選手がスイムの力をつけてきたんです。私の真後ろにぴったりとくっついて来て、私のつくった水の流れを利用してくるようになり、思うように差を広げられなくなりました。私がトランジションでバイク用の義足に履き替えている時に、義足をつけないでバイクに移る選手に追い抜かされてしまうようにもなって。先頭を走る選手と私がバイクで同じスピードで走れればまだいいのですが、膝があって脚力が強い選手にはやはり引き離されてしまいます。この差を埋めるためには、バイクの強化とトランジションのタイムロスをなくすことが必要です。2018シーズンが終わった後、私はバイク用の義足をなくすことを決断します。
片足のバイクトレーニングで
絶好調のスピードに。
― 具体的には、どのようなトレーニングを積まれたのでしょうか?
片足のバイクトレーニングに重点的に取り組んでいきました。ペダルを片足で漕ぐのと義足をつけて両足で漕ぐのでは、身体の使い方も違うし、左右のバランスも違うし、パワーを入れるタイミングも違う。すべてが変わっていきました。すると身体の痛みも出てきて弱いところが浮き彫りになってくる。浮き彫りになったらその弱いところを強くする。それだけをひたすら繰り返していましたね。片足で漕いでも義足をつけたときと同じスピードで同じパワーを出力できなければレースで使えませんから。ただトレーニングを重ねると結果は予想以上だった。片足でのバイクのスピードが両足で漕ぐよりも早くなったのです。昨年9月、はじめてバイクの義足を外してレースに出場すると、バイクで差が開かなくなってタイムも縮めることができました。バイクの義足をつけていた選手がそれをなくすというのは前例がありませんでしたが、すごくいい選択だったと思っています。
義足は愛すべきパートナー。
刺激し合って強くなれる。
― 義足を外すことは、大きな挑戦だったんですね。改めて、秦選手にとって義足はどんな存在なのでしょうか?
もともと日常生活で必要だから使っていただけで、義足に対してそこまで愛着を持っていませんでした。できれば見せたくないし、隠したかった。それが180度変わったのはスポーツをするようになってからです。お気に入りの靴を履いて走るように、お気に入りの義足をつけることがどれだけ自分の力になるか。そう考えた時に義足はすごい味方だな、と。自分に合った義足をつけて愛着を持てば持つほどにその力を引き出すことができる。この義足は早く走れるよと渡されたとしても、その時の自分に合った義足の硬さ、重さ、強さでなければ意味がない。逆に言えば、速く走れる義足ほど、それを使いこなせるだけの強い身体が必要になるんです。義足の存在に刺激されて、トレーニングを積んでいけることもありますね。
夢のような毎日をくれたみんなと
最高の瞬間を味わいたい!
― パラトライアスロンは、“辛い”スポーツというイメージもありますが、秦選手が競技を続ける上でモチベーションになっているのものは何ですか?
パラトライアスロンに打ち込めるのは"好きだから"の一言に尽きます。レースも、練習している時間もすごく幸せです。トライアスロンは楽しい時間が長い。スイムでも長く楽しく泳げるし、バイクも長くレースできて、ランも気持ちよく走れる。きついでしょうと言われることも多いですが、身体がきつくなったとしても、来たぞ来たぞ、と思える。やろうと思っているのは自分ですからどうなっても楽しいんですよね。
以前まではOLとして9時から17時半まで仕事していましたが、今は会社からの支援もあり、トレーニング中心の生活ができています。本当に好きでやっていることに、こんなにも全力で自分の時間を費やせる。夢みたいです。
― 東京2020パラリンピックに向けて、お気持ちを聞かせてください。
現在のような夢みたいな環境で過ごせているのはたくさんの人の支えがあってこそ。私はみんなに "道"をつくってもらっているんだと思います。だからこそ東京2020では今まで支えてくれた人や関わってきた人に「よかったね」と声をかけてもらえるような結果を出したいと強く思いますね。本番のレースをもっともっと楽しみにできる準備をして、最高の瞬間をたくさんの人と味わえるように頑張りたいです。
秦由加子YUKAKO HATA
1981年千葉県出身。3歳から10歳まで水泳を習う。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされてからはスポーツから遠ざかっていたが、2008年に障がい者水泳チームで水泳を再開。2013年にトライアスロンに転向し、リオ2016パラリンピックへの出場を果たした。2021年の東京パラリンピックに連続出場。
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