2016年6月13日、世界最大規模のゲーム見本市「E3」にて、あるタイトルが発表されました。その名は『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』。手掛けたのは、2015年末に独立を発表したばかりの世界的ゲームクリエイター、小島秀夫さんです。
全世界でシリーズ累計5,480万本以上を売り上げた人気シリーズ『メタルギア』の生みの親であり、ファンやスタッフから“小島監督”と親しみを込めて呼ばれているように、映画のような巧みなストーリーテリングをゲームに持ち込んだ稀代のゲームクリエイターとして知られています。
2015年末にKONAMIを退職し、独立。KOJIMA PRODUCTIONSの設立後、その動向が注目されていたなか、「I'm back!」という第一声とともにE3の会場に現れた小島監督は、大歓声とともに会場に迎え入れられました。それから約3年半の歳月をかけ、このたび、全世界が待ち望む新作『DEATH STRANDING』を完成させました。
今回、プロモーションツアーのために欧州・米国・アジアに飛び立つ直前の小島監督に、新たにインディーゲームスタジオを立ち上げ、ゲーム制作に取り組むまでの彼の軌跡、その軌跡から見えてくる夢の描き方、そして挑戦し続ける理由に迫りました。
「ゲーム」という未知なるインタラクティブメディアの可能性に賭ける
小島監督が「ゲーム」というインタラクティブなメディアを通じて、物語を紡ぎ続けるのは、幼少期に影響を受けた小説や映画の影響があります。1960年代から70年代はインターネットも存在せず、現代と比べれば、海外旅行も敷居が高い。その代わりに世界とつながる手段となっていたのが、小説や映画というメディアでした。
「僕が知らないものを見せてくれたのが映画であり、小説なんです。行ったことのない国、風習、人々、あるいは過去やSFであれば未来にも行けます。自分とは異なる性別にもなれます。それは僕にとって、今とは違う場所に連れて行ってくれる『宇宙船』のようなものでした」
エンターテインメント作品は世界を拡げるばかりか、時として人を救うことがあります。小島監督は10代の頃、父親の死を経験。その頃の経験が、小島監督の人生を大きく変えることになります。
「父親が亡くなり、一人になった時期があったんです。その時に自分を助けてくれたのが、映画であり小説でした。この経験があったからこそ、エンターテインメントや物語のもつ力を深く知り、そんな物語をつくる仕事に就きたいと考えるようになったと思うんです」
物語が自分に授けてくれたものを、世の中に還していきたい──。そんな考えから、小島監督は映画監督や小説家の道を志すことになります。
また、当時の小島監督にはもうひとつの夢がありました。それは、宇宙飛行士になること。50年前、人類を月面着陸へと導いた「アポロ計画」、そして帰還した3人の宇宙飛行士は小島監督にとって、紛うことなきヒーローでした。当時は宇宙飛行士になるための方法はとても限られており、小島監督はその夢を断念。しかし、彼らが示したフロンティアを切り拓く精神性は小島監督の作品に受け継がれています。
「まだ誰も到達したことのない場所に命を賭けて行く人は、僕らの時代にはヒーローだったんです。知らない世界に誰かを連れて行く、人間の可能性を示すことは、僕の人生のなかでとても大事なものになりました。ゲームを通じてそれに挑戦しているんです」
小説や映画というメディア以上に、小島監督に新たな可能性を提示したのは「ゲーム」でした。「ゲームというインタラクティブなメディアに魅力を感じて、これならば月面に行くほどの未来があると感じたんですよね」と、ゲームという新たなフロンティアの登場を語ります。
しかし、小島監督が足を踏み入れた80年代中ごろのゲーム業界は、ファミコンブーム真っ只中。そんな業界に入ることには、多くの人が反対しました。友人、家族、果てはゼミの担当教授までが進路を変えるように促したそうです。なかには「頭がおかしくなったのか」という言葉を投げかける人もいました。小島監督はそのような言葉を意に介さず「ゲームはいずれ映画を超えるメディアになる」と確信を持っていました。
「僕は反対されるほどいいかな、と思ったんです。誰も想像していなかった未来がなんとなくでも見えていましたから。ただ、ゲームがさまざまなテクノロジーを吸収し、ここまで早く成長するとは思っていませんでしたけれどね」
『メタルギア ソリッド』の世界的ヒットがもたらした、ものづくりに対する責任
期待と確信を胸にゲーム業界に入った小島監督はKONAMIに入社。MSX(1980年代に販売されたゲーミングパソコン)向けゲームの部署に配属となり、ファミコンよりも制約が多いなかでのゲームづくりに従事しました。その「制約」を活かして生まれたのが、MSX2用ソフト『メタルギア』です。MSXの性能では画面に弾や敵を多く登場させるのは難しく、そこで考えたのが敵地に隠れながら潜入する“ステルスゲーム”という新しいジャンルでした。
小島監督に転機が訪れたのは、プレイステーション(以下、PS)向けの『メタルギア ソリッド』の制作でした。それまでのゲームは国内でしか売られていなかったものの、PS版『メタルギア ソリッド』は世界中で販売され、大ヒットとなりました。
「それまでは自分の好きなものづくりをして飯を食えたらいいな、くらいに思っていたんです。けれども、PS版『メタルギア ソリッド』で多くのことが変わりました。自分のゲームを待ってくれている人が世界中にいる。『ファンのために何をするべきか』を考えるようになったんです」
その頃から、人種も国籍も異なる世界中のファンからメッセージが届くようになります。「あなたのゲームのおかげで、私は背中を押してもらった」「わたしはいま入院しているのですが、あなたの新作をやるまで頑張ります」「あなたのゲームに命を救われました」。
「ゲームを通じて、人を救えることがあるんだな」そんな小島監督の言葉からは、ゲームづくりに大きな責任と役割が伴っているようにも感じられます。2015年末に独立した際も、盟友のギレルモ・デル・トロ監督を筆頭に「みんなが大作ゲームを待っているよ」という声が小島監督に届き、休む間もなく新作ゲームの制作に取り掛かることになります。
分断の時代に、いかに人々を再びつなぐか?
大手スタジオから独立して成功した人間はひとりもいない──。そんな通説が囁かれるゲーム業界において、小島監督は2015年末にKOJIMA PRODUCTIONSを設立。約3年半の制作期間を経て、2019年11月8日に新作『DEATH STRANDING』をリリースします。
同作はノーマン・リーダスが演じる主人公サム・ポーター・ブリッジズが、分断され孤立した人類を再びつなぐために、アメリカ大陸を横断するまったく新しいゲームです。
『メタルギア ソリッド』シリーズで「反戦・反核」というテーマを描いてきた小島監督が次に挑むのは、分断の時代において「つながり」を取り戻すこと。先行公開されたトレイラーにて、「ネットが世界を覆い尽くしても争いは絶えなかった。無理やり世界を繋いでもまた綻びがうまれる」という言葉が登場するように、分断の時代を乗り越えるための新たなるヒントを提示しようとしています。
「僕がつくるようなストーリー性のあるゲームは、一人で遊ぶ孤独な人が多いと思うんです。疎外感のようなものを感じるかもしれませんが、実はそんなゲームが好きな人が世界中に何百万人もいることを、つながることで知ってもらいたい。そうすれば、自分のような人が決して一人ではないと知れて、楽になるはずですから」
「あなたは一人だけど、一人じゃない」小島監督はゲームに込めた想いをこのように表現します。独立し新たなスタートを切るにあたっても、「つながり」は重要な要素になったといいます。
「独立して何もない状態から、世界中の人が待っている大作ゲームをつくる。それが僕のミッションでした。唯一あったのが、人とのつながりです。スタッフ、ゲリラゲームズ(編注:『DEATH STRANDING』で用いられているゲームエンジンを共同開発)、参加してくれたアーティストやキャストの方との“つながり”があったからゲームをつくれています。自身のつながりを辿っていくなかで、つながりをテーマにしたゲームをつくったわけです」
テクノロジーが社会実装される少し前に、ゲームを通じてその功罪を描く
ゲームの進化の歴史は、テクノロジーの進化と切り離すことができません。新たなるテクノロジーが、新たな表現やゲーム体験を可能にしてきました。業界の黎明期から当時の最先端テクノロジーを活かしてゲームをつくってきた小島監督はその変化をどのように捉えてきたのでしょうか。
「ゲーム業界においてもテクノロジーは日進月歩で進化し、今日できないことが明日できるようになるんです。そのぶん学ばなければいけないことも多いのですが、『すごくいい世界を選んだな』と、30年前の自分にお礼を言いたいと思いますよ。僕は飽き性なので、ひとつの仕事をずっと続けるとは思ってもいませんでした。周りにも、ゲーム業界で30年以上も働いていることを不思議に思われています(笑)」
SF小説やSF映画が時として、未来のテクノロジーを予見するような内容を描くように、小島監督のゲームにも同様の側面があります。『メタルギア ソリッド2 サンズ オブ リバティ』では、「世界のデジタル化は、人の弱さを助長し、それぞれだけに都合の良い『真実』の生成を加速している」という台詞が登場し、ソーシャルメディアが普及した後のフェイクニュースが氾濫し、人々が信じたい“現実”を信じ、個人の感情に訴えるものこそが最も影響力をもつ「ポスト・トゥルースの時代」を見事に予見していました。
「最新のテクノロジーが好きでよくチェックしているのですが、当然のことながら、そのテクノロジーが一般の人々の生活を変えるまでには時間がかかりますよね。そのテクノロジーが一般層に降りてきそうなときに、ゲームというメディアを使って一歩先に表現するんです。僕のゲームではそんなスタンスでテクノロジーを描いています」
時としてテクノロジーの進化を批評的に描くこともある小島監督ですが、その進化に対しては「すごくポジティブ」だと語ります。
「テクノロジーの進化によって、21世紀には差別も戦争も貧富の差もなくなり、人種や国の違いも関係なく皆が手をつなぎ合う未来になると思っていました。テクノロジーの使い方次第では、そういう未来も可能だと思うんです。僕のゲームではテクノロジーのネガティブな側面に触れているようで、実はそうではない。それは諸刃の剣なので、テクノロジーの良い側面と悪い側面をゲームで体験してもらい、その後はプレイヤーの皆さんに考えてほしいんですよね」
例えば、『DEATH STRANDING』で小島監督が描こうとしている「つなぐ」という行為も、必ずしもポジティブな側面ばかりではありません。インターネットやソーシャルメディアで人と人がつながった結果、ヘイトや憎悪が撒き散らされることもあります。「つなぐことで出てくる問題を理解してもらうことで、ニュースや世界の見え方が変わっていくといいなと思うんですよね」
ものづくりに挑戦したい若者にとって、今ほどチャンスのある時代はない
奇しくも今回のインタビューが行なわれたのは、『DEATH STRANDING』が完成したばかりのタイミング。小島監督にその手応えを尋ねると、意外にも「まだ発売前ですから、本当の意味での手応えはないです」と胸のうちを語ってくれました。
「もちろん自分のつくったものに満足していますし、毎回、最高のものをつくった自負はあります。けれども、すべてを満たす手応えというのはまだないですよ。あったらゲームづくりを辞めていると思います。いまの作品を完成させても、まだ創りたいこと、やれることが見えてくる。それがモチベーションとなって次の作品をつくるわけですから。新しいテクノロジーが常に出てくるから、やれることの範囲も拡がっていきますしね」
当然ながら、大作ゲームはひとりではつくれません。4人でスタートしたKOJIMA PRODUCTIONSは、現在80名のスタッフが働くスタジオに成長しました。小島監督は「チームだからこそつくれた」と、その軌跡を振り返ります。
「スタッフを募集する際に言うのが、僕じゃない人と一緒にやりたい、ということ。僕のクローンが80人いても面白くないわけです。僕とは異なる感受性をもっているから、チームでつくればゲームに深みが出たり、より刺激的なものになる。そのなかでの僕の役割は、ビジョンを示すこと。これまでにないゲーム体験をつくろうとしているのだから、当然そのビジョンをスタッフと共有することは簡単ではありません。文章やイラスト、時には身振り手振りなどのあらゆる手段で説明はしますが、どうしても伝わらない部分があるのでそこは信じてついてきてもらおうと(笑)」
ビジョンに加え、小島監督はチームでものをつくる際に重要なポイントをもうひとつ指摘します。大作ゲームは時間がかかります。ひとつの作品をつくり上げるためには、根気強く、走り続けることが求められます。しかも数年間かけて。だからこそ、一緒にゴールに向かう仲間が大事だと、小島監督は語ります。
「もしひとりで走っていれば疲れてしまいますけれど、一緒に走っている人がいればその分パワーが出るじゃないですか。ゴールにたどり着いたときに一緒に抱き合うこともできます。それは小説などのクリエイションとは異なる部分だと思いますね。小説家が抱えるような圧倒的な孤独感はないですから」
ただ、ものづくりにとって最適なチーム人数は時代によって異なります。無料で配布されるゲームエンジンも存在し、発表の場としてインターネットがあります。そんな現代的状況を踏まえながら、小島監督は「ものづくりに挑戦したい人にとって、今ほどチャンスがある時代はないですよ。若者たちが羨ましいです」と語ります。
生きている間には決して到達できないような、大きな夢を抱いてほしい
以前、小島監督は『WIRED』のインタビューにて「成功しないと、続く人がいなくなるんです。ぼくが失敗すると、おそらく日本でこういったアクションを成せる人がいなくなります」と語り、フロンティアを切り拓く上での姿勢を語っていました。
小島監督のそのスタンスは今でも変わっていません。「独立して成功した人間はひとりもいない」と言われているゲーム業界において、最初から大作ゲームをつくる。「企業のなかでしかものをつくれないという古い考えを持っている人々に、『そうじゃないよ』と示さなければいけないと思ったんですよ」と小島監督は語り、「僕もやってみよう」と考える人を増やしたい、と言います。
「先ほども話したように、つながる、人を巻き込むことは裏を返せば、つながった人のリスクを背負うことなんです。僕がもし失敗すれば、それはスタッフの失敗にもなる。だからこそ、成功しなければいけません。例えばハリウッドでも失敗すれば、もうあとはないですから。僕のようなおっさんが踏み固めた道の上を若者が歩き、僕の足跡を消してくれたら嬉しいな、と思いますよね」
そんな小島監督にとって、夢とはどのようなものなのでしょう。小島監督が語った言葉からは、ブリヂストンワールドソーラーチャレンジが掲げる、『Dream bigger. Go farther.』というスローガンに近い考えが垣間見えました。
「挑戦するのは若者の特権ですよ。僕は56歳で挑戦していますけれど、本来は若者がするべきことですから、はやく追い抜いてほしいですね(笑)。なので、ワールドソーラーチャレンジは非常にいいムーブメントだと思いますよ」
「実は、太陽と僕が考える夢の定義にはある共通点があるんです」と、小島監督は言葉を続けます。
「夢は叶えようとするものだと思いますが、叶えてしまえば終わるじゃないですか。『月に行きたい』と思っていて月にたどり着いたら、次はどうすればいいの、と。僕の夢は太陽のようなものなんです。太陽に近づけば、その人は燃えてしまいます。「太陽に行く」というのは言葉の矛盾で、不可能なんです。つまり、決して到達できないものを目標にしているんです。ただ太陽が常に照らしてくれるから、必ず見失わずにそこに向かえる。生きている間には到達できないけれども、そこに近づこうとするモチベーションこそが人生の醍醐味だと思っているから、若い人にも大きな夢を抱いてほしいんですよね」
宇宙飛行士や映画監督、小説家を目指すという夢を一度は諦め、ゲーム業界へ。そこで成功を収め、独立後もまだ誰も成功したことのない前人未到の地を、小島監督は進もうとしています。「今になって振り返れば、夢は破れていないと思えるようになった」と取材の最後に語ってくれました。
「夢破れてゲーム業界なのが結果的に良かったのかな、と思います。振り返れば、本当の意味で夢が破れたわけではなかったんです。たとえその時自分がやりたかったことができなかったとしても、別の道を辿っていけば最終的に同じ方向に辿り着くこともあります。人生には、そういうこともありますよね。だから、一度夢に破れると「夢なんて」と思う人もいるんですけれど、あまり卑下せずに進んでいってほしいですね。まあ、僕がそういうことを言える年齢になっただけかもしれませんけれどね(笑)」
取材協力 / 画像提供
KOJIMA PRODUCTIONS Co,. Ltd. / Sony Interactive Entertainment Inc. / Konami Digital Entertainment Co., Ltd.
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Text:KOTARO OKADA / Edit:KAZUYUKI KOYAMA