BWSCストーリーズ
ブリヂストンはBWSCを通じて、
「Dream bigger. Go farther.」をテーマに
人々の夢への挑戦を支えています。
ここでは、幼い頃からの夢であったロケット開発に挑戦し続けてきた、株式会社植松電機の植松努さんへのインタビューをご紹介します。
「自分の代で実現しない夢を持って欲しい」——マグネット工場からロケット開発へ舵を切った植松努が伝える“夢”の意味
北海道赤平市。
札幌から北へ100kmほど行った同市に、ある実験施設があります。
2004年から北海道大学と共同で民間ロケット開発に着手し、2009年にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)と共同でロケットの打ち上げ実験を実施。数多くの挑戦を重ねながら今も打ち上げに向け尽力する株式会社植松電機のロケット開発施設です。
同社は世界に3台しかない、ロケット開発に必要な『微小重力実験施設』を自ら制作し、自社のロケット開発に活かすのはもちろん、世界中の開発者へ貸し出すなど、ロケット産業全体へも貢献しています。
同社は2004年までは、リサイクル用マグネットを製作する、20人ほどの町工場でした。ロケットと直接関係のある仕事をしていたわけではありませんでしたが、同社代表の植松努さんは長年ロケットに携わる夢を描き続けていました。
彼はどうやってロケット開発へたどり着いたのか、その「夢」をテーマにお話を伺いました。
祖父の笑顔から、ロケットという「夢」を志す
植松さんが最初にロケットと出会ったのは、3歳の頃。祖父と一緒にみたアポロ11号の月面着陸がきっかけでした。
「祖父はその映像を目にして、今までにないくらい喜んでいたんですよ。僕は、画面の映像こそ覚えていないのですが、その祖父の姿は今でも鮮明に覚えていて、そんな祖父をみるのがすごく嬉しかったんです。僕はその笑顔をもう一度見たいと思って、ロケットの道を歩み始めたんだと思います」
とはいえ、植松さんがロケットを手掛けるまでは平坦な道のりではありませんでした。それは技術や努力といった観点だけではなく、その「夢」を信じるという意味においてです。
植松さんは何度も自身の夢を否定される経験をしてきたと言います。
「僕は、子供の頃からロケットや飛行機を作りたいと話をしてきました。でも、どこへいっても大人からは『どうせ無理』と言われ続けてきたんです。小学校から大学まで。どこでも何かしらの形で、その壁に衝突し続けてきました」
TEDxSapporoの講演でも植松さんは語っているように、数々の否定の声を聞き、夢を諦めかけたことがなかったわけではありません。それでも夢を語ることで、その道は徐々に開かれていき、転機となったのは、飛行機に携わりたいと思い機械工学科へ入学した大学時代とのことでした。
「その頃は、車やバイクでも良いかな…と思い始めたりもしたんですが、ちょうどその頃に、ウルトラライトプレーンという普通の飛行機より簡単な許認可で飛ばせる飛行機に乗る機会があったんです。そこから見た世界はあまりにも美しくてね。『やはり飛行機だ』と確信し、その体験や飛行機の話をさまざまな人にしていたら、教授が『こいつはよほど飛行機が好きなんだな』と、方々道を繋いでくれるようになったんです」
「夢が叶ってしまった」という挫折
大学での熱意をきっかけに、卒業後植松さんは名古屋にある飛行機やロケットを作る会社へ就職し、夢にみた仕事に携わる機会を手にします。
「本当に嬉しかったですよ。特に飛行機の形を考える仕事は何にも代えがたい楽しさがありました。しかし、その会社に入ったところで僕の夢が叶ってしまったんですよ。だからその後、どうしていいかわからなくなってしまったんです」
一体ここで何をなすべきか——それがわからなくなってしまった植松さんは、さまざまな葛藤を経て、4年ほどで退職。自分で新たな道を探そうと思い、北海道の実家へ戻る決意をしました。
「北海道で、実家の仕事を手伝うことにしたんです。しかし、ちょうど不景気と重なり、このままではまずい状況になってしまった。そこで活路となったのが、いまでは当社の主力商品となったリサイクル用のマグネットです。
当時はちょうどさまざまなリサイクル法が施行され、金属の分別が必要になった時期。リサイクルの現場を見たときに「マグネットがあったほうがよさそうだ」と思い、マグネットの開発をはじめてみたところ、それが幸いにして上手くいき、会社を持ち直すきっかけになったんです」
ロケットへの道は、1本の電話から
リサイクル用で必須となる「軽さ」と「強度」を備えた植松さんのマグネットは瞬く間に市場を席巻し、シェアを大きく伸ばしました。植松さん自身その営業に奔走する日々を送り、気がつけば入社から10年ほどが経過。ロケットや飛行機とは距離を置いた日々を送っていました。
しかし、その道は突如ロケットへと引き寄せられていきます。
きっかけは1本の電話からでした。
「2004年頃だったと思います。『ロケットエンジンの研究をしているが実験場所がなくて困っている。場所を貸してもらえないか』という電話がかかってきたんです。それは、いま一緒にロケットの研究をしている、北海道大学大学院の永田晴紀教授からでした」
左・植松さん 右・永田教授
永田教授は当時ロケットエンジンの研究を進めていました。しかし予算がなく制作も実験もままならない状況で、「実験はいつはじまるのか」を植松さんが聞くと、予算がないからいつになるかわからないと答えるような状況でした。ここに植松さんはチャンスを見いだします。
「安全なロケットエンジンの研究している人なんて世界にふたりといません。その人がたまたま北海道にいて、しかも年齢もひとつしか違わない。これは運命だと思いました。そこで、僕が部品を全部作るから一緒にやらせてほしいとお願いしたんです。すると永田教授は『是非一緒にやりましょう』と言ってくれた。道が開けた瞬間でした」
それから植松さんは一切お金を受け取らず、永田教授と共にロケット開発に取り組みます。技術費も作業費も材料費も省みず、植松さんはとにかくロケットを作るためだけに力を注ぎました。
「僕自身、このロケット開発から多くのことを学びました。だからこそこの技術の向上に全力を注ぎたいし、ロケット産業自体に成長してほしい。ロケットエンジンの引き合いが来ても、技術料は取りませんし、実験施設も格安で貸し出します。僕にこの技術を教えてくれた、永田教授や学生の皆さんに応えるためにもね」
微小重力実験施設
もちろん、これだけ植松さんがロケット開発に尽力できるのは、リサイクル用マグネットの事業で成果を上げていたからに他なりません。ただ、それは金銭的な面だけでなく、技術や課題解決力など、さまざまな面でもロケット開発に活きていると言います。
「『自分で新しいものを考え、形にする』——そのプロセス全てがロケットに役立っています。例えば、マグネットでは最初は全然売れず苦労しました。そして、売れるようになれば商売上の苦労も出てきます。その中で、さまざまな困難を上手く避ける能力を身につけたと思っています。技術面でも、僕達が作っているマグネットは軽さと強さを重視した商品であり、ロケットも同じく軽さと強さが必要です。あらゆる経験が今に活きているんですよ」
自分の代で実現しない夢を持って欲しい
一度はその道を諦めながらも、再びロケットの道へ戻り、挑戦を続ける植松さん。
ロケットは当初、夢でしたが、いまは手段に変化していると言います。その背景には植松さん自身が考える“夢”の在り方の変化がありました。
「いま僕が考える夢は、“できないことへの憧れ”なんですよ。言うなれば、届かなくて良いものなんです。それがあることで、向かうべき方向が決まる。北極星のようなものかなと思っています。すごく遠くにあるから人類は到達できない。けれど、北極星があることで、方角がわかり、歩むべき方向が見えてくる。そういう指標となるようなものが夢だと思います」
植松さんが夢にかかげるのは、子供の頃から立ち向かい続けてきた「どうせ無理」をなくす、人の可能性を奪わない社会です。それを実現するために、自身もロケットの開発に奔走しつつ、各所で「夢」をテーマにした講演にも精力的に取り組んでいます。
この夢には、ブリヂストンワールドソーラーチャレンジが掲げる、『Dream bigger. Go farther.』というスローガンにとても近いものがあると植松さんは語ります。
「私たちは、子供の頃から『夢を描け』と言われますが、素直に夢を描くと『夢みたいなこと描くな』と言われ続けてきました。つまり、できそうなことから選べと言われている。僕はそうじゃないと思っていて。“自分の代で実現しない夢”を持って欲しいんです。このDream biggerという言葉は、まさにそれを表してくれていると思いますよ。自分の代だけで実現する夢はいくらでも諦められるし、辞められる。ですが、自分の代で終わらない夢を持つと、次の世代を作らなければと考えるし、どう思いを伝えるか、どう能力を伝えるかを真剣に考えるからです。夢に善し悪しはないですし、ひとつじゃなくても良い。たくさん大きな夢を持って欲しいですね」
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ゴールデンレトリバー、1歳、メス、毛ぶきがいい。先代犬エフの地盤を継ぐ。体格にそぐわない童顔と甘えん坊ぶりで人はメロメロになる。efrinman コメの飼い主。イラストレーターとしても活躍しており、犬のイラストや漫画が人気。
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