進化と成長
まだ見たことのない萩野公介へ
萩野公介
スイマー・萩野公介選手は圧倒的に強い。速い。優れた身体能力とメンタリティ、努力の賜だろう。過去2度のオリンピックで金メダルを含む計4つのメダルを獲得した。22歳のこの春に大学を卒業し、社会人になる萩野選手。ブリヂストンの契約アスリートとして水泳に専念する道を選び、新たな挑戦を始めようとしている。
日々の練習でも自分に負けたくないと思う
数々のパレードや表彰式などリオデジャネイロ2016オリンピックのメダリストとして大会閉幕後も忙しかった昨年が終わり、萩野選手はこの日も朝から黙々と練習に励んでいた。水をとらえて泳ぐ姿は優雅に見えて、実は体力の限界と闘っている。
「あまり言いたくないけれど、練習は本当にキツいです(笑)。だけど自分に負けたくなくて、ヘトヘトになったラスト1本を、"よし、今日いちばんのタイムで泳いでやろう。それができたらオリンピックで金メダルが取れる!"と勝手に決めて頑張ったり(笑)。日々の練習でも何か限界にチャレンジするような目標をつくって、それをクリアするようにしているんです」
ドボンと水に入った瞬間、その日の体の調子がわかる。ひと搔きしたとき、"よし、今日は調子がいいぞ"と思うか、"うわ、調子が悪いな"と思いながら泳ぐのか。
「少し前に平井先生(競泳日本代表ヘッドコーチ・平井伯昌氏)から、調子が悪いときでも気持ちで持って行けるようになれ、といわれました。僕は何でも理詰めで考えるタイプ。負けたときは泳ぎのここが悪かったとか、ここで0.1秒縮められたとか注意深く分析するし、自分を鼓舞するときも、ここでこうだから、こうで、こうで、だから大丈夫なんだと、100%理屈で納得してきました。でも、今は意識して気持ちから入ることもしていて、少しずつできるようになってきたと思います」
夢を達成するために今何が必要か日々考えることも努力の一部
トレーニングに公式はなく、そのときそのときでベストなものを選んで組み立てていく。日々変わっていく自分の体や泳ぎを把握し、そのとき必要なものを見極めていくことが重要なのだ。
「トレーニングは平井先生を信じています。自分のやってきたことは間違いじゃない、あの先生と一緒なら大丈夫だと信じる力は、選手にとってもっとも必要なことなんじゃないでしょうか。もちろん、自分自身も信じます。やってきたことに自信があるし、これからやりたいと思っている気持ちにも自信がある。他の選手がどうこうではなく、自分がやれること、やるべきことをきっちりやっていく。そうした努力のうえにだけ、勝ちがあります」
努力について言葉で掘り下げるのは難しい。しかし、おそらくどの選手も勝つための努力を積んでいるなか、萩野選手が強いのはなぜなのか。そこを敢えて聞いてみると----。
「難しいですね(笑)。でも、例えば練習時間とか量とか質とかいろいろな要素があるなかで、僕の場合は何ひとつ欠けても成り立たないというか......。いや、欠けても成り立つんですよね、人それぞれには。例えば、Aさんはコレ、Bさんはアレ、Cさんにとってコレは努力だけれどDさんには当たり前のことだとか、何を優先するかでも変わってきます。だけど全ての人にいえるのは、努力は欠かせないということです。絶対に欠かせない。そして、自分の達成したい夢や目標がハッキリしている人であれば、それを達成するのに何が必要かというのを日々考える。考えるだけでなく挑戦する。それも努力の一部なんです」
勝負を純粋に楽しむ気持ちが競泳人生を支えている
萩野選手は生後6ヵ月から水泳を始め、幼稚園児で選手育成コースに入っている。小学生からは名門スイミングスクールに通って学童記録を次々と塗り替えた。中学、高校もスポーツ名門校に進学し、周囲の期待に応えて各年代で新記録を樹立。その後の活躍は周知の通りだ。泳ぐのがイヤになったことはないのだろうか。
「高校生ぐらいのときです。400mメドレーはしんどいから泳ぎたくないと思ってしまって、そのときは結果も出ませんでした。キツさばかりに囚われて、水泳という競技自体を楽しめていなかったと思います」
そこでこだわったのが勝ち負けだ。楽しむために勝敗から離れるのではなく、勝敗に楽しみを見出そうと思ったというから、並の人とは違う。
「競泳なんだからもっと純粋に勝負を楽しもう。そう思ったら、次の展開が見えてきました。今も勝負は楽しいです。複数種目に出場して肉体的にはもう十分しんどいのに、自分のレースがない日に泳いでいる他の選手を見ると、"ああ、いいな、僕も出たかったな"と思うんですよ。負ければもちろん悔しいけれど、その悔しさを正面から受けとめて吸収することでさらに大きくなれる。しょうがないや、今回はいいやと思ってしまったら、それが本当の負けなんじゃないでしょうか」
水泳は野球やサッカーのリーグ戦のように試合がたくさんできるものでもない。狙った大会で負けてしまったら、次はもうかなり先だ。競技時間も短いものなら1分足らずで、その1分のために来る日も来る日も練習を積む。
「だから、1分に賭ける集中力はもの凄い。いかにして自分の最大限の力を発揮するか、集中力の勝負でもありますね」
オリンピックだから大丈夫、勝てると思える
その集中力の勝負に、萩野選手は勝ってきた。4年に1度のオリンピック、魔物がいるといわれる大舞台でめざましい結果を残している。
「いわゆる"魔物"のイメージは、僕の中にはありません。オリンピックというプレッシャーが力になる、それ以上に、僕の場合は"オリンピックだから大丈夫。絶対に結果が出る"と思えるんです」
「北島康介さんが引退するとき、"水泳を続けるならオリンピックじゃないと刺激を求められない"と話されていました。2度のオリンピックを経験して、僕には今、その気持ちがよくわかります。次で3度目になりますが、そこにかかる緊張感、ピリピリとした空気は他に代えられないもので、むしろ欲している自分がいますね」
東京2020オリンピックまで「あと3年しかない」という萩野選手。狙うは複数種目での金メダルだ。
「まずは毎年行われる世界水泳選手権に照準を定め、そこで複数種目の金メダルという目標を達成したい。そうやって1年1年を大切に、東京大会までに確実なレベルにもっていきたいと考えています」
「勝ちたいですね。僕よりも努力している選手がいるかもしれませんが、いや、いると思いますけど、その人にも勝ちたい(笑)! 考え方はシンプルなんです」
水泳の素晴らしさを伝えていくのがこれからの自分の役目
学生として競技を続けてきた萩野選手だが、今春、いよいよ社会人になる。
「今はワクワクした気持ちがいちばん大きいです。社会人という未経験の世界に踏み出して、それが自分や自分の泳ぎに何をもたらしてくれるのか。練習のほかにさまざまな広報活動も待っているでしょうが、それこそ、僕がこれからやりたいこと、やらなきゃならないことだと思っています。社会人になってみんなが働いているときに僕は泳いで、泳ぐ僕の姿を見てもらうことで、水泳の素晴らしさをたくさんの方に知ってほしいんです」
オリンピック・ムーブメントは2020年に頂点を迎えるが、スポーツや水泳に関する世間の関心はそこが頂点にならないよう、2020年を過ぎてなお上向いていってほしいと、萩野選手はいう。
「オリンピック後もさらに応援してもらえるような闘い方をすることが、自分たち選手の役目だと思っています。」
シンプルに考え、コンスタントに努力する。その難しさを身をもって知る人にとって、萩野選手は憧れだ。
「しんどいこともありますが、なんだかんだいって毎日が楽しいので。だって、やりたいことをやりたくてもできない人もいるし、世界には(水の事情で)泳ぎたくても泳げない人もいる。ご飯が食べられない人だっています。最近、スポーツができることの背景にあるものを考えていかないといけないと思うようになりました。僕は好きな水泳ができるし、もっともっとこうなりたいという思いがあるから、幸せかなと。ここでもういいやと思ってしまったら努力することもなくなるし、新しい自分と出会うこともなくなって、それはつまらないです」
タイムを追い求めていく競技なので----。
そう締めくくった萩野選手は真っ直ぐ前しか見ていない。進む道は一本道だ。ゆえに私たちは、こんなに胸がときめくのだろう。
萩野公介KOSUKE HAGINO
1994年生まれ、栃木県出身。0歳の時から水泳を始め各年代の新記録を樹立。高校3年時にロンドン2012大会400m個人メドレー銅メダル。リオ2016大会では同種目の金メダルを含む3つのメダルを獲得。2017年に東洋大学を卒業し、ブリヂストンの所属選手となる。2021年に開催された東京2020大会で自身3度目のオリンピック出場を果たし、同年現役を引退。大学院に進学する傍ら、水泳を始めとするスポーツ・アスリートの魅力を様々な形で発信するなど、新たな夢に向かって挑戦を続けている。
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