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多くの人の支えがあって、今の自分がいる。
「断トツ」の結果で応えたい

小林幸平

  • インタビュー
  • パラバドミントン
小林幸平

株式会社ブリヂストン 甘木工場(福岡県朝倉市、トラック・バス用タイヤの生産工場)で勤務する小林さんは、平成29年度強化指定選手に指名され、今後の活躍が期待されている。パラバドミントンの魅力や今後の目標を伺った。

初めは「車いすなんてかっこ悪い」と思っていた

小林幸平選手

― パラスポーツを始めたきっかけは?

初めのころは、「車いすなんてかっこ悪い」と思っていました。でもあるとき、友人が車いすバスケットボールの試合に誘ってくれて、高速でコートを駆け回り、両輪が浮くぐらい激しくボールを奪い合う姿を見て、素直に「カッコイイ!」と感じた。やってみると全然うまくいかず、負けず嫌いな性格に火がつき毎日練習しました。
九州にはいくつかクラブチームがあるのですが、あえて当時弱かった佐賀のチームに加入しました。自分がチームを強くしてやる!と意気込んでいましたね。数年後にチームで優勝できたときはとてもうれしかったです。

― ブリヂストンに入ったきっかけは?

バスケを頑張ろうとすればするほど、移動のガソリン代や競技車の維持にお金が掛かる。バスケもしたいけど、きちんと収入のある仕事もしたい。でも、学生時代まともに勉強してこなかったので、私を雇ってくれる会社なんて、そうそうない。障害者職業能力開発校に通うことに決め、猛勉強の日々をスタートさせました。勉強の仕方すら知りませんでしたが、わからないながらやっているうちに次第にコツがつかめて、資格試験に合格できて、勉強が楽しくなって......。結局、その開発校で取れる14、15個の資格をすべて取得。「30年教えてきて、ここまで勉強した人は初めて」と先生も驚いてくれました。健康には良くないですが、バスケと勉強の繰り返しで、あの頃はあまり寝ていませんでした......(笑)。
その努力のかいもあって、ブリヂストンへの入社が決まりました。しかしその後、練習があるために残業できず、後ろめたい気持ちになり、仕事に集中するためバスケチームは引退し、一度スポーツと離れました。

東京2020から正式競技、パラバドミントンとの出会い

小林幸平選手

― パラバドミントンを始めたきっかけは?

妻の影響です。車いすバスケットボールの日本代表に手が届く実力のあった妻ですが、バスケットで世界を目指すには体力の限界を感じて、パラバドミントンに転向。厳しい練習をこなしてめきめきとうまくなっていました。そんな妻が「大会でどうしても勝てない」と言うので、「練習相手になるよ」と軽い気持ちでラケットをにぎったんです。しかし、これが全く返せない。運動には自信のある自分が手も足も出せないことに、愕然としました。悔しくて必死になって相手をしているうち、再びスポーツにのめり込んでしまいました。自分でコーチ、練習場所を探して練習に励むうち、国内外の大会で成績を残せるようになりました。

― パラバドミントンの魅力は?

一見ただ打ち合っているように見えるバドミントン。実は「駆け引き」の世界なんです。短いショットを打つと見せかけて長く打つ、前を守ると見せかけて後ろに下がる、ゆっくりしたラリーでリズムを作ってからスマッシュで崩す、という具合です。特に車いすは、一瞬の判断が遅れ初動が1秒遅れると、もう間に合わない。サーブが放たれてから地面に落ちるまで、一瞬たりとも気が抜けません。お互いが相手の動きの先の先を読もうと、全神経を集中させる。その緊迫感ある駆け引きが魅力ですね。

小林幸平選手

彼に勝たなければ、世界では勝てません

小林幸平選手

― 今後の課題は何でしょう。

今日本トップ選手でどうしても勝てない相手がいます。彼に勝たなければ、世界では勝てません。2017年は彼から1ゲーム以上勝ち取ることが目標です。車いすを的確に動かす技術、シャトルをコントロールする技術、相手の動きを読む技術、バテない持久力......まだまだ課題はたくさん。1分1秒でもムダにしないよう、平日は仕事の後、土日はほぼ1日、トレーニングに励んでいます。

小林幸平選手

私も、人に何かを与えられる存在になりたい

小林幸平選手

― 東京2020パラリンピックへの意気込みをどうぞ。

仕事もバドミントンもさせていただいている私は、本当に恵まれていると思います。ここまでこられたのは、家族や友人、コーチ、職場の方々など、多くの人の支えのおかげ。障がいを持ったからこそ、人の優しさに助けられていると強く実感します。私も、人に何かを与えられる存在になりたい。それが、東京2020パラリンピックでのメダルを目指す理由です。皆さんが喜んでくれたり、障がいを持つ方が元気をもらってくれれば嬉しいです。応援よろしくお願いします。

小林幸平選手

PROFILE

小林幸平

小林幸平KOHEI KOBAYASHI

1979年福岡県朝倉市生まれ。2007年(株)ブリヂストン入社。17歳のとき、交通事故で脊髄を損傷し車いすの生活となる。パラバドミントン選手である妻・小林悦子さん(パナソニック所属)の影響で、2015年3月よりパラバドミントンを始める。急成長を遂げ、国内外の大会で好成績を残している。第2回日本障がい者バドミントン選手権大会でシングルス準優勝、ダブルス3位。

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    小倉理恵 インタビュー | パラバドミントン

    小倉理恵 インタビュー | パラバドミントン

    家庭と仕事と競技生活すべてに全力投球する小倉理恵選手の姿を追った。

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