ゴルフで培った勝者のメンタリティ。
そして、新たな挑戦へ。
宮里 藍
14年間に及んだプロゴルファーとしての道のりを、「ゴルフを通じて自分自身を知ることだった」と振り返る宮里藍さん。まだまだ活躍が望まれたが、自らで引き際を決めた。そして今、ゴルフで培った自分自身のこれからの可能性について、ゆっくりと、自分らしい道を見出そうとしている。
14年間自分自身と向き合って
「生来ゴルフが大好きで、そこに自分を掘り下げていくことが趣味のような性格がたまたまハマって、すごく良かったんでしょうね」
そういってプロゴルファーとしてのチャレンジを振り返る宮里さん。彼女にとってゴルフはメンタルスポーツだという。ツアー生活においては常に自己と対峙する。その繰り返しだった。
「1ラウンド5時間として、そのうちボールを打っているのは15分ぐらい。そうなると、その15分以外の時間をどう組み立てて次の一打につなげるか、自分を見つめてコントロールすることがものすごく大切になるんです」
毎週のように試合があるぶん、考えることも増えていく。その中でいかにして大事なものだけに絞り込み、4日間の試合にシンプルに集中できる自分をつくるか、そこが勝負だ。
もちろん、最初から長けていたわけではない。プロになった当初はただピンだけ見ていればいいというような攻め切るスタイルだったが、次第にゴルフの奥深さを知るようになり、アグレッシブに行くだけが全てではないと気がついた。それからはどう計算して試合全体をマネージしていこうか考えるようになった----その中で、自分自身としっかり向き合うようになったという。
ゴルフを通して己を見つめ、考え続けた14年。かなりの"忍耐"が必要だった。
「今、振り返って、残した成績にも達成感を感じています。でも、それ以上に大きいのは、いろいろな状況から逃げることなく、常に真摯に自分自身と向き合ってきたという実感ですね」
不調よりも好調な時を知る方が難しい
長いゴルフ選手生活の中で、あるいはシーズン中でも、好・不調の波はあっただろう。プロとして不調な時期をどのように乗り越えてきたのか聞くと、意外な答えが返ってきた。
「不調は確かに苦しいのですが、逆にいえばやるべきことが見えているので、それを克服すればいいだけなんです」
例えばスイングが乱れているとか、メンタルに問題があるとか、アスリートを続けていれば、たいていのスランプはその原因を自分でもわかるようになる。後はそれに向き合って、立て直すよう励むことができる。
「むしろ、調子がいいときを知ることの方が大事です。
好調なときって、本能的にプレイしていることが多いんです。自分の感覚や感性に従って動いた結果がいいスコアになって、じゃあ、それをどうやってしたかというと、言葉にならない部分がある。なので、いいときを細かく分析して悪いときと照らし合わせ、どうすれば(好調を)再現できるのかを探っていく。好調な自分にあって今の自分には足りないものをひたむきに埋めていく作業をしていました」
自分の弱いところを受け入れる
普段はコーチやスタッフなど大勢の人に支えられているゴルファーだが、試合でボールを打つのは自分1人だ。1打ずつ積み重ね、5時間かけて65〜70打ほど。やはりどれだけ自分のことをわかっていて、より良い判断や修正ができるかがカギになる。
「突き詰めるとシンプルなんですが、試合では惑わされることが往々にしてあります。一打ごとに一喜一憂しやすいけれど、その感情も俯瞰して、自分をコントロールしなければなりません」
強いメンタルを求められるゴルフ。宮里さんは、どうやって心を鍛えてきたのだろう。
「よく聞かれるんですが、(メンタルを)強くするというよりは、弱いところを受け止めることから始まるんだと思います。自己を深く知ることが強みになるので、自分の弱い部分から目を背けない。それが、他の様々なことも受け入れて強くなるベースになります」
ゴルファーとしての宮里さんは体格的に恵まれているとはいえず、渡米間もないころ、飛距離を伸ばそうとしてスランプに陥ったことがある。しかし、飛距離の追求は自分にとってプラスにならないと自覚し、思い切って切り捨てて、精度と技での勝負にフォーカス。それが非常にいい成績につながった。
その後もスイングの改造や好不調などさまざまな変化がある中で、優勝だけを目指すのでなく、コンスタントに上位にいることを目標にしてやってきたという。
「ゴルフには人生と比例するものがあります。人生をどう味わって、楽しくしていくのか、それを突き詰めるのと同じ感覚でゴルフをしてきました。ゴルフを通じて、人としても成長させてもらったと思っています」
自分にできることは何か見極めていきたい
「今まで本当にゴルフ一色の生活だったので、今はとりあえず、ゴルフ以外のものを見聞きして吸収していきたいと思っています」
ゴルフでの偉業に加え、礼儀や振る舞いの点でも模範とされる宮里さんは、どこまでも謙虚。他のスポーツ競技について聞くと、「共通点はあると思いますが、私がわかるのはゴルフだけ」だと慎重だ。しかし、彼女がアスリートとして培ったメンタリティや、困難を克服し、ミッションを成し遂げてきた経験は、他のスポーツはもちろん、それ以外のあらゆる人生のフィールドで活かされるものだろう。
「まずは単純に見ていきたいという気持ち。他の競技がどんな雰囲気で、選手はどんな準備をしているのか、勉強して知識を増やしたいんです。もしかすると、メンター的な立場で(後進のアスリートのために)役に立てることがあるのかもしれませんね」
今回、宮里さんが「チームブリヂストン」へ加わったこと。それもひとつの自身の表現手法になり得ると考えているからなのだろう。
また、アスリートとして「応援の力」についてはよくわかるという。「応援されていると実感することは、選手にものすごくプラスに働きます。私も最後、多方面の大勢の方に"お疲れ様"と言ってもらえて、14年間頑張って走ってきてよかったと、本当にありがたかったです。私が今後何らかの形で選手の皆さんをサポートする立場になったら、応援の力を理解したうえで活動していきたいですね」
17歳のデビュー以来「あいちゃん」と呼ばれて親しまれてきた宮里さん。選手として成長し、大きく羽ばたいて夢を実現する姿に、私たちは夢中になった。そして今、彼女が新しい次の夢へと一歩を踏み出そうとしている。これまでとは違う立場で、そして、誰かの夢を実現するためのチームの一員として。
宮里 藍AI MIYAZATO
1985年生まれ沖縄県出身。4歳の時に2人の兄(聖志、優作)に触発されゴルフを始める。小学校5、6年の時沖縄県ジュニア選手権連覇、中学卒業後は親元を離れ単身宮城の東北高校に進学。日本女子アマ等数々のタイトルを獲得。高校3年の2003年アマチュアで出場したミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンに優勝を機にプロ宣言をして史上初の高校生プロゴルファーに。通算勝利は24勝(国内14勝、海外9勝、アマ1勝)
2017年9月に惜しまれつつ現役生活を引退。引退後は、ブリヂストン・アスリート・アンバサダーとしてオリンピック・パラリンピック活動に携わりながら、2019年には自身でジュニアトーナメントを立ち上げ、次世代育成への取り組みも始めている。
座右の銘は「意志あるところに道はある」
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