1960年代のモータリゼーションの進展とブリヂストン
1960年代は日本のモータリゼーションが花開いた時代としても知られています。今回は大都市をつなぐ高速道路が開通し、マイカーが急速に普及したこの時代を振り返りながらブリヂストンの当時の取り組みについてすこしご紹介していきましょう。
東名高速道路の全線開通から今年で50年を迎えました。1969年の東名高速道路の全線開通は、1963年に日本初の都市間高速道路として開通した名神高速道路とともに、東京/名古屋/大阪という三大都市をつなぐ日本の物流と経済を支える大動脈となり、今日も日夜多くの車両が通行し続けています。そんな高速道路の開通によって締めくくられた1960年代の日本はまさに高度経済成長の時代。なかでもマイカーブームはこの時代を象徴する出来事で、1960年に約44万台だった自動車保有台数は1970年には677万台を超えるまで急増、多くの人々がマイカーを所有する時代を迎えていました。高速道路の開通は、私たち個人にとっても、より自由に、さらに遠くへ、マイカーでの旅を実現させてくれるものになったのです。
1960年代のマイカーブームはブリヂストンにとっても大きな出来事になりました。タイヤはクルマ1台に4本必要になるため、クルマが増えれば当然のことながらより多くのタイヤが必要になります。またマイカーでの移動距離が増えれば、タイヤはより短期間で擦り減ってしまい交換サイクルも早くなります。ブリヂストンは時代のニーズに合わせ、より多くのお客様にタイヤを供給できるよう1960年代から工場を増やし生産量を増やすと同時に、従来のバイアスタイヤから摩耗ライフや運動性能に優れるラジアルタイヤへと主力商品を変更することで、より長距離移動に適したタイヤを積極的に普及させていきました。
さらにブリヂストンはいつでも安心してマイカーでの移動を楽しめるように、"2kmに1店ブリヂストン"という考えのもとタイヤサービスが受けられる全国のタイヤ販売網を構築していきました。現在ブリヂストングループの販売店網の原点を遡るとこの時代にたどり着くのです。
そしてもうひとつ、1960年代から現在も愛され続けているのがブリヂストンのCMソングでおなじみの「どこまでもいこう」です。小林亜星氏が作詞・作曲したこの曲を使ったCMは1966年に放映をスタート。1本のタイヤが荒地や坂道、吹きつける雨など過酷な環境のなか一生懸命に走り続けるという当時のCMは、どんな苦労があってもよりよいタイヤを開発しお客様に提供し続ける、社会に貢献するというブリヂストンの想いが込められたものでした。この曲はその後も大黒摩季さんや山崎まさよしさんによってカバーされブリヂストンのCMで使われ続けています。