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「風の谷真海」への十の問い
2013年に行われた東京2020オリンピック・パラリンピック招致のための最終プレゼンテーション。
壇上でスピーチを行い、東京2020大会を手繰り寄せたひとりが、谷真海選手だ。パラリンピックに走り幅跳びで3度の出場経験があり、東京大会ではトライアスロンでの出場が有力視されている。現在は1児の母でもあり、子育てをしながら、仕事もこなし、競技の練習にも励む日々。
そんな谷真海選手に吹いた、『十の風』とは?
風を感じられることで、生きているんだと思える。
それがすごい喜びでした
一、パラアスリートになるきっかけとなった、人生の風向きが変わった出来事を教えてください。
義肢装具士の方に出会ったその日のことです。すごく自然な感じで「走ってごらんよ」と言われて、それをきっかけに高校生以来の陸上競技に取り組むことになりました。私の人生の風向きが変わった瞬間でしたね。病気になる前は、普通に大学を卒業して社会人になれればいいと思っていたので、再び自分が走ることなんて想像もしていませんでした。1年近く入院していたあとだったので、体力も筋力も落ちていましたし、治療の副作用で髪も抜け落ちて、かつらを着けている状態で、あれもできない、これもできないみたいな思考になっていて。でも、もうできないかもしれないと半ば諦めていたことに対して、"いや、そうでもないかも"、"できるかも"と思えるようになり、少しずつ殻を破っていけた。義肢装具士の方のひとことで、変わることができたんです。
二、義足で走って風を感じた時のことを教えてください。
陸上部だった中高生の時は、目標のために頑張るだけだったので、走ることを楽しむ余裕がなかったし、そもそも走れることが当たり前だと思っていました。でも、病気をしたことで、その当たり前が自分の中でなくなったからこそ、走れることが心から嬉しかった。最初は今よりも転んだり、義足が痛いと感じたりすることも多かったんですが、それでも楽しくて仕方がなかったですね。最初からすごいスピードで走れたわけではないんですけど、一歩一歩足を踏み出していける。そして、同時に風を感じられることで、生きているんだと思える。それがすごい喜びでした。
三、風が穏やかに変わったと感じたことはありますか?
走り幅跳びに出会ってまだ2年目の時に、初めて出場した国際大会がアテネ2004パラリンピックでした。当時の私は、人生に対してまだまだ前向きとは言えない状態でしたが、選手村には障害を抱えているにもかかわらず、ある意味、あっけらかんと生きている底抜けに明るい選手がたくさんいたんです。しかも、姿勢や表情が自信に満ちていてものすごいオーラを感じましたし、私の目には障害をマイナスにとらえていないように映りました。そんな選手たちの姿を見ながら、こういう生き方っていいなと教えてもらうことができたんです。私にとって生き方の模範となる人たちに出会えた出来事でした。それ以来、私に強く吹きつけていると思っていた風が、穏やかに感じられるようになりました。
オールジャパンとしてチームで戦うことの
素晴らしさを感じました
四、人生で熱い風が吹いた出来事を教えてください。
2013年9月7日、ブエノスアイレス(アルゼンチン)でのIOC総会で、2020年のオリンピック・パラリンピックを東京へ招致するための最終プレゼンテーションを行いました。
私もプレゼンターとして、登壇させていただいたんですが、私のスピーチが最初だったこともあり、一生味わえないような緊張感の中でしたが、無事に終えることができました。
この時は、スポーツ界だけではない、まさにオールジャパンとしてチームで戦うことの素晴らしさを感じましたね。それぞれがみんなのために同じ目標に向かって頑張ることができたと思います。全員から熱い風を感じることができた出来事です。
五、突風に立ち向かい、打ち勝った経験はありますか?
パラトライアスロンで国際大会にデビューした2017年のことです。シーズンが始まって間もない4月に行われた、アジアの頂点を決める大会に出場した際に、お腹をこわしてしまいました。その2週間後には横浜での大会に出場する予定なのに、ほぼ1週間、寝たきり状態になってしまい、ゴハンすら食べられず......。大会の数日前にようやく食事ができるようになったんですが、まともに練習ができていなくて、体重も落ちている中、それでもレースに出場することに。
パラトライアスロンを始めて1シーズン目だったので、競技自体に対する不安も大きかったし、体力への心配もあったんですが、結果的に優勝することができました。すると、それをきっかけにその年はその後も調子が良かったので、人間は大人になっても突風に打ち勝つ成功体験が大切だなと思えました。
彼女たちの声援が耳に届くとちょっと笑顔になれるんです
六、レース中に追い風を感じる時はどんな時ですか?
調子が上がらないまま、それでも一歩一歩前に進んでいかなければならないようなレースは本当につらいんですが、そんな時に追い風になってくれるのが、家族や会社の仲間、大学時代の同級生など身近な人たちからの応援です。
中でも大学のチアリーディングの時の仲間は、声も大きいし、くすっと笑えて、本来の自分に戻れるようなおもしろい応援をしてくれます。レース中の苦しい時も、彼女たちの声援が耳に届くとちょっと笑顔になれるんです。特に今、挑戦しているパラトライアスロンは、10秒、20秒で終わる競技ではないので、こうした応援をきっかけに調子が上向いてくることもあります。本当にありがたいですね。
乗り越えられない試練は与えられない
七、向かい風でも自分を支えてくれる言葉はありますか?
「乗り越えられない試練は与えられない」です。病気になった時に、母からもらった言葉で、もはや信念になっています。今でもなにか試練が起きて、なんで私なんだろう? と思った時に、私なら乗り越えられるのかなと思わせてくれます。向かい風が吹いて思うようにいかない状況に対して、今はしっかり根を張る時期だぞと自分に言い聞かせるための言葉でもありますし、不調は成長するための時間だなってとらえられるようになりました。そう考えられるようになったのは、この10何年かの成長だと感じます。
八、日々の生活の中で、風が和らぐのはどんな時ですか?
1日の中に家族と過ごす時間があると、家事はもちろん、たわいもないことでも、やっているうちに頭を切り替えられます。その間は競技から離れられるのがいいですね。中でも一番心を癒されるのが、子どもに絵本の読み聞かせをしながら一緒に寝る時間です。子どもと時間を共有できますし、自分の心を整える時間にもなります。絵本を読んでいると心が穏やかになるんです。練習で疲れていたり、イライラして怒ってしまったり、いろいろあっても1日の最後には風が和らぎ、平穏な気持ちで眠れます。だから、どれだけ遅い時間になっても絵本の読み聞かせだけは欠かせません。
とりあえず動く。動きながら解決法を考えます
九、逆風から立ち直る方法を教えてください。
パラトライアスロンは、毎試合コースも違うし、環境も違うので、ほかの試合の記録と比べることができません。そういう意味では、記録がよくなかったとしてもスランプとは言いにくい部分があるんですけど、それを自分の中でどうとらえるか? 自分にとっては、目に見えるスランプではなく、練習でしてきたことがまったく試合で出せないことがスランプですね。そういう逆風の時は目の前の地味なことをコツコツ継続してやるだけです。調子が上がらない時に、それを限界としてとらえてしまうと終わってしまうので、なるべくそうは思わないようにして、課題を見つける作業に移ります。そして、誰かに相談するなどとりあえず動く。動きながら解決法を考えます。
最後の最後に風向きが変わればいいなと思っています
十、東京2020パラリンピックに向けて、今、どんな風が吹いていますか?
今は決して追い風ではありません。というのも、パラリンピックのトライアスロンでは、私が普段出場している障害クラス「女子立位PTS4」は種目自体がなくなってしまったからです。その結果、私より障害の軽い選手たちが出場する「PTS5」に私も出場しなければならなくなりました。つまりより高いレベルでのレースを強いられるわけで、私ならなんとかなると信じるしかない。ずっと追い風でもつまらない道のりになってしまうと思いますし、過去3大会では、パラリンピックイヤーになると調子が上がってきた。そういう意味ではパラリンピックの神様が見ていて、最後の最後に風向きが変わればいいなと思っています。どんな形で終わってもやりきったなって思えるように、残りの日々を過ごしていけたらいいですね。
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