夢を抱き、前へ。彼らが歩む道。
チームブリヂストン・アスリート・アンバサダーの萩野公介選手(水泳/競泳)と宮里藍さん(ゴルフ)のスペシャル対談が実現。この日が初対面でありながら、世界の頂点に立った二人の言葉は、自然と共鳴し、私たちの心にまっすぐ響く。大きな夢を掴み、そして次なる夢を笑顔で思い描く彼らの“CHASE YOUR DREAM”ストーリーは、強いメッセージとなり、そしてまた多くの人々の夢や希望となるのだろう。
萩野公介
Kosuke Hagino1994年栃木県出身。0歳の時から水泳を始め、小学校低学年から学童新を更新。中学・高校でも各年代の新記録を樹立する。高校3年時のロンドン2012オリンピックでは400m個人メドレーで銅メダルを獲得。東洋大学進学を機に平井伯昌氏に師事、リオデジャネイロ2016オリンピックでは3つのメダルを獲得した。2017年に同大学を卒業し、ブリヂストンの所属選手となる。
プロフィール・主な戦歴
宮里藍
Ai Miyazato1985年生まれ沖縄県出身。4歳の時に2人の兄(聖志、優作)に触発されゴルフを始める。高校3年の2003年アマチュアで出場したミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンの優勝を期にプロ宣言をして史上初の高校生プロゴルファーに。2010年には年間5勝を挙げ日本人初の世界ランキング1位となる。通算勝利は24勝(国内14勝、海外9勝、アマ1勝)座右の銘は「意志あるところに道はある」。
プロフィール・主な戦歴
気づけば練習をして泳いでいた(萩野)
萩野選手は水泳、宮里さんはゴルフ。それぞれの競技をはじめたきっかけと幼い頃のエピソードを教えてください。
宮里:「ゴルフをはじめたのは4歳の時です。家族全員ゴルフをしていて、私も二人の兄にまざりたいと思ってはじめたのがきっかけですね。父は兄弟3人のスイングコーチですが、もともとプロにする気は全然なくて、家族でのコミュニケーションがゴルフをする目的だったみたいです」
萩野:「僕は記憶がないくらいの時から水に触れていました。最初は生後6ヶ月の頃、母が通いはじめたベビースイミングがきっかけです。その時は水につかる程度でしたが、気づけば練習をして泳いでいたっていう感じで。」
萩野:「宮里さんは、当時からお兄さんにゴルフを教わっていたのですか?」
宮里:「そうですね。実家の庭にちょっとしたパッティンググリーンがあって、そこでパターの勝負などをしていました。毎日、"兄2人を負かそう"ってすごく楽しくて。その頃から競うことが好きだったんですね」
萩野:「僕も年上の子たちと一緒に練習することがすごく楽しかったんです。僕は一人っ子で兄弟がほしかったので、"お兄ちゃんたちと話したい! "ってスイミングスクールに通うのがすごく楽しみでした。だから水泳を続けられたというのもありますね」
2004年、全英オープンにて初のメジャー挑戦を果たした。
結果を出せるまでの4年間は本当にきつかった(宮里)
競技をする上で挫折や壁はありましたか?
宮里:「しょっちゅうですね。挫折や壁しかなかったんじゃないかな。アメリカに行ってからは特にですね。アメリカは小さい頃からずっと行ってみたい場所でした。中学1年生ではじめてアメリカのジュニア大会に出たときに、"ゴルフが上手くなるならここしかない! "と思って、それからずっと"行きたい! "というモチベーションをもっていたんです。そして渡米したものの、日本で2年間プレーして、自分のスタイルがある程度確立していた私にとって、新しい環境でベストバランスを見つけるのに4年くらいかかったんです。私は体も小さいし飛ばせる選手ではない。体格も飛距離もかなわないアメリカで、自分はどう対抗していけばいいか、結果を出せるまでの4年間は本当にきつかったです」
萩野:「僕も、挫折や壁ばかりで、それこそ今もまさにその時じゃないかと思っています。中でも大きかったのは2015年に肘の骨折で手術をした時ですね。今までと同じ感覚で体を使うことができなくなって、その違和感の中でどうやっていい泳ぎをするかという壁がありますね。競技を続けていく以上完璧はないと思っていますが、怪我との向き合い方はほんとうに難しいですよね。宮里さんは壁にぶつかったとき、どう乗り越えたのですか?」
僕も今まさに、壁を乗り越えている途中(萩野)
宮里:「結局は目の前の課題をひとつひとつクリアしていくしかなくて。魔法ってないんですよね。私の場合、メンタルコーチとの出会いも大きかったです。アメリカツアーで初優勝するまでの4年間、周りからの影響も受けて飛距離を伸ばすためにスイングを大幅に変えたり、自分のスタイルを一回全部崩したんですね。そうすると、それまでの持ち味だった"どんな緊張感でも一定で打てる"というリズムがわからなくなって、いわゆるイップス(突然自分の思い通りのプレーができなくなる症状)になってしまったんです。今まで無意識にできていたことを意識することがとても難しくて。でも、"右手の力を抜く"とか、そういうレベルのことからやり直して、日々少しずつ手応えを感じながらトレーニングを行いました。その先に優勝できたので、4年かかったけれどそれは遠回りではなかったと思っています」
萩野:「メンタルコーチの存在も競技に大きな影響を与えたのですね」
宮里:「そうですね。メンタルトレーニングのおかげで、ゴルフの見方ががらっと変わりました。それまで根性論のようなイメージがあったのですが、全然そうではなくて。自己分析をして自分の長所をより伸ばしていくトレーニングはとてもためになったし、ゴルフ以外の人生にも役立つことだったので、やってよかったなと思っています。"挫折"って私はネガティブに思うのでその言葉自体好きではないんですが、捉え方の問題。私は、自分が新しいことにチャレンジして変わる過程にともなう"成長痛"だと思っているんです」
萩野:「スポーツで一番大事なところですよね。世界には自分と同じような実力、テクニックの人はたくさんいて、でも最後に結果を出す時に差を生むものってやっぱりメンタルだと思うんです。僕も今まさに、壁を乗り越えている途中。常に自分が望む結果を出せるわけじゃないので、悔しい思いと嬉しい思いを繰り返しながら、宮里さんのように小さな成功体験を積み重ねていくことで、前に進んでいる実感を得ているというか。そしてある時、壁を乗り越えたことに気づいているんじゃないかなと思います。僕の場合、"今日はいい練習だった"とか、それだけで元気になるんです。逆に練習でうまくいかないと帰り道、落ち込みますが......」
宮里:「それって、何ごとも素直に感じられるという萩野さんのよさなんでしょうね。小さいことでもできたと思うことって大事だと思います。逆に落ち込んだ時はどうやって切り替えるんですか?」
萩野:「やっぱり美味しいものを食べることですかね。食べている時は嫌なことも忘れてしまうし(笑)、明日も頑張ろうって思えるんです」
宮里:「いいですね! すごくシンプル! 私はひとつのことを深く考えてしまうタイプだから、素敵ですね」
無我夢中でやって、気づいたら世界一になっていた(宮里)
競技への向き合い方や気持ちのスタンスなど、世界を舞台に勝ち抜くために必要なこととは何でしょうか?
宮里:「自分自身の強みをどう表現していくか、ということだと思います。それが常に自分にとって挑戦だったので、無我夢中でやって、気づいたら世界一になっていたという感じでした。他の人を見て"こんなふうになりたい"と思うこともありましたが、私の場合、"正確性とショートゲーム"という自分の道を極めることに焦点を絞って、他はやらないと決めたんですね。そうして、私はここで生きていきますっていう覚悟を決めて突き進めたからアメリカでも結果を残すことができたのかなと。昔と比べてゴルフもパワーゲーム寄りの時代の流れになっていて、その中で私のようなショートゲームプレイヤーが結果を残す道というのはとても細いんです。でも、可能性はゼロではない。ゴルフの場合は幸い、年間30試合くらいあって、その中で掴めるチャンスも多いので、そこを前向きに捉えてチャレンジできたという点もあると思います。でも、萩野さんの場合、水泳は年間で試合数が少ないですよね。その中でのピーキングの作り方を前から聞きたいと思っていたんです」
萩野:「そうですね。水泳の場合、世界大会は年に1、2回しか開催されません。正直、一番調子のいい時に世界大会に出られるということは、ほぼないんです。だから、ピークの7、8割くらいの状態でも世界と戦える力がある選手が勝てると思っています。僕は多種目にチャレンジしているので、例えばオリンピックだと8日間ずっと戦い続けることもあります。後半は疲れも溜まるし、十分な睡眠が取れないこともある。もちろん100%の調子で臨みたいですが、そこにこだわるのではなく、その時の実力でどう戦うかということを考えています」
宮里:「気持ちの面で言うと、どこまで情熱的にやれるか、ということだと思うんですよね。私自身も、ゴルフが大好きではじめて、そのゴルフへの情熱はプロになってもずっと途切れていません。その情熱があってこそ"このスポーツを通じて成長したい"というモチベーションが生まれ、今までゴルフを続けてこられたんだと思っています。競技に対して情熱的かつストイックで貪欲であることは、きっとどの競技でも世界で戦っている人に共通しているんじゃないでしょうか」
萩野:「自分でこれを達成したい、というモチベーションや欲みたいなものがないと、どんなに周りのサポートがあっても、厳しいのではないかと思います」
宮里:「引退してから気づいたことではあるのですが、今はいろんな情報やものが簡単に手に入る時代のせいか、自分から手に入れるのではなく、与えられている人が多いように感じるんです。でも、"自分はもっとこうしたい"というその人自身の力をもっと前に出せないと、世界の大きな舞台には立てないのかなと。やらされるのではなく、自分がやりたいから、という意思が大切ですよね」
戦える自信は間違いなくある(萩野)
東京2020オリンピックへの想い
萩野:「東京での開催が決まった当時、僕は大学1年生でした。その瞬間、オリンピックに出たい、オリンピックにチャレンジする自分でいたいと強く思いましたね。その発表のあとにリオデジャネイロ2016オリンピックがありましたが、東京の予行練習と思って臨んでたように思います。リオが終わったと同時に2020年のことを考えました。2年後となった今、出場を目指してやるべきことはたくさんありますが、それよりも楽しみで仕方がないという気持ちが強いですね。今、建設中のプール会場の前を通るとき、"これかー! "と思いながら見るのも楽しくて。着々とオリンピックの環境が整ってきて、たまらないな、って気持ちになってきました」
宮里:「だんだん現実的になってきたという感じですね! オリンピックに向けての準備ははじめているのですか?」
萩野:「できないことをできるようにするなど、少しずつ準備を重ねています。試行錯誤しているところですが、戦える自信は間違いなくあるので! 」
夢を持つことが一番自分のエネルギー源になってくれる(萩野)
夢を持つことは大切ですか?
宮里:「すごく大切なことだと思います! 夢をもっていたからこそ、私はゴルフをずっと続けてこれたと体感しています。いわゆる想像することってすごく大事ですよね。どういう自分になりたいか、そのイマジネーションの先に夢があると思うから。イベントなどで子どもたちと触れ合う機会では、かならず"どんどん夢は持ったほうがいいよ"って言っています」
萩野:「僕もそう思います! まず夢を持つことが第一。その夢に向かって努力をして突き進んでいって、その上で小さな成功体験を積み重ねていくことが、スポーツの醍醐味だと思っています。普通の生活においても大切ですよね。夢を持つことが一番自分のエネルギー源になってくれるから、それが一番大事なのかなって。」
宮里:「やっぱり夢のことを想像するとわくわくしますよね」
萩野:「わくわくしますよね! それが一番楽しい時間かもしれないですね」
宮里:「楽しいですね。間違いないです。(笑)」
いろんな競技の選手をサポートしていきたい(宮里)
チームブリヂストンとして、これからどんな活動をしていきたいですか?
宮里:「14年間のプロ生活は、応援の力で最後まで頑張ることができました。だから今度は、自分が応援する側になって萩野さんをはじめ、いろんな競技の選手をサポートしていきたいと思っています。現役時代はアメリカにいてなかなか経験できなかった、子どもたちと触れ合うイベントも楽しみですね。ゴルフを通じて、子どもたちと楽しい時間を共有しながら、少しでもゴルフの輪を広めたいです。次世代につなげていく、という自分にとって新たなチャレンジ。すごく楽しくやれそうな気がしてワクワクしています」
萩野:「素晴らしいですね! 僕も競技の垣根を越えてチームブリヂストンの活動ではたくさんの刺激を受けています。そして、子どもたちとのイベントなど自分にとってとても貴重な機会を増やしていただいていると思っています。今まで知らなかった人と触れ合うことで、新たな水泳のよさに気づいたり、また頑張ろうと思えたり。チームブリヂストンで元気をもらうことで、自分もよい結果を出し、そしてみなさんに刺激を与えられたらと思います」
最後に、子どもたちへのメッセージをお願いします。
宮里:「感謝の気持ちを持ちながら、自分が今しているスポーツを最大限に楽しんでほしいということですね。ゴルフを通していろんな人と関わることができるし、子どもの頃から全国に友達ができます。そういったこともスポーツの力のひとつ。ただふざけて楽しいというのではなく、競技の楽しさ、競うことの楽しさを知ってほしいですね」
萩野:「真剣の中の楽しさ、夢にチャレンジする楽しさを感じてほしいです。頑張った時ほど嬉しいし、頑張った時ほど悔しい。大人になったときに、輝いていた瞬間として記憶に残してほしいですね」
映像「CHASE YOUR DREAM TALK #1」 完全版
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