HIROMI MIYAKE × ATSUSHI YAMAMOTO
夢に向かって挑戦し続けるオリンピアン、パラリンピアンにフォーカスしストーリーを紡ぐ「CHASE YOUR DREAM」。IOC(国際オリンピック委員会)公式パートナーであり、東京2020パラリンピックのゴールドパートナーであるブリヂストンが、2016年12月に社員向けにイベントを開催。リオデジャネイロ2016オリンピックにてウエイトリフティング48キロ級銅メダルを獲得した三宅宏実選手と、パラリンピックにて走り幅跳びで銀メダル、400メートルリレーにて銅メダルを獲得した山本篤選手をゲストに招き、トークセッションをはじめ、リフティングと義足の体験を実施。リオ2016大会を振り返り、2人のメダリストの現在の心境やオリンピック、パラリンピックへの想い、そして2020年に迫る東京大会に向けたメッセージを両選手にうかがった。
三宅宏実
Hiromi Miyake1985年埼玉県出身。147cm。日本の女性重量挙げ選手・指導者。女子48kg級および53kg級の日本記録保持者。ロンドン2012オリンピック48kg級銀メダリスト、リオ2016オリンピック48kg級銅メダリスト。
山本篤
Atsushi Yamamoto1982年静岡県出身。167cm、59kg。片大腿義足の陸上競技選手。北京2008パラリンピック走り幅跳び銀メダリスト。リオ2016パラリンピック男子走り幅跳び銀メダリスト。男子4x100mリレー銅メダリスト。
私、こんなに幸せで 大丈夫かな?(三宅)
リオデジャネイロ2016オリンピック・パラリンピックを終えてどんな日々でしょうか?
三宅:「今回のようなイベントに呼んでいただいたり、リオ2016大会以降いろんなご褒美続きで......先日はドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ)にも少し出演させていただくという経験もしたり。私、こんなに幸せで大丈夫かな?なんて心配になるくらいです(笑)」
一気にパラリンピックの存在を知ってもらえた(山本)
山本:「僕もリオ2016大会が終わってから、テレビやイベント等たくさん出演させていただきました。そのおかげで、今まであまり知名度が高くなかったパラリンピックですが、今大会以降、一気にその存在を知ってもらえたと感じています。今後はパラリンピックだけでなく、選手一人ひとりの名前も覚えていただきたいですね」
三宅選手はアテネ2004から、北京2008、ロンドン2012と続き、リオ2016で4大会連続でのオリンピック出場。父親と叔父もウエイトリフティング選手であり、オリンピックメダリストとしても名を馳せる三宅選手は、日本女子ウエイトリフティング史上初のメダリストとしてさらに注目を集めた。ロンドン2012では銀メダル、そしてリオ2016大会では銅メダルを獲得した。一方、山本選手のパラリンピック出場歴は、北京2008、ロンドン2012に続き、3大会連続となる。初めて出場した北京2008大会の走り幅跳びで銀メダルを獲得し、リオ2016大会では走り幅跳びで銀メダル、400メートルリレーで銅メダルという結果を残した。
10年くらい経ち、いろんなことがわかってくる(三宅)
三宅選手はロンドン2012大会では銀、リオ2016大会では銅という自身の記録をどう捉えていますか?
三宅:「私自身、とても満足しています。(ロンドン2012大会での)一つ目の銀メダルは、12年かけてようやく達成したメダルだったので、すごく嬉しかったことを覚えています。でも、そこから次の4年間というのは未知なものでした。当時26歳で迎えるオリンピックと30歳で迎えるオリンピックは全然違います。26歳はウエイトリフティングの世界では一番油の乗っているピークの時期だと思うんです。競技をはじめてから10年くらい経ち、そこから自分の体と向き合っていろんなことがわかってくるので、記録もまた大幅に伸びるようにもなります。ですので、30歳になった今、2大会連続でメダルを獲ることの難しさを初めて実感できましたし、その分嬉しさが倍増しました」
やっぱり陸上の華といえば 100メートルですから(山本)
走り幅跳び、リレーでメダルを獲得した山本選手。個人(走り幅跳び)とリレー(団体)で取るメダルは全然違うそうですね。
山本:「今回のリレーで僕はアンカーだったのですが、4人でつないできたものでゴールを切るので、4人のパワーが入っています。僕たちのチームには、手のない選手もいるのでバトンがありません。手や腕に障害のある選手がリレーを走るとき、バトンを持てないので、相手にタッチをすることがバトンパスになるんです。バトンは無いけれど、そこに込められた魂を感じてゴールしたとき、個人で得るものとはまた違う喜びがありますね」
でも一番の思い入れは100メートルなんだとか?
山本:「スプリンターなのかジャンパーなのかというと、自分としてはスプリンターだと思っています。リオ2016大会では100メートルにも出場しましたが結果は7位入賞。出場した競技では一番順位が低いのですが、一番好きな競技は100メートル。やっぱり陸上の華といえば100メートルですから。でもメダルはなかなか厳しいから、走りも活かせる走り幅跳びでメダルを狙いました」
もっと世界の大会に出て、世界に勝つ癖をつけること(山本)
オリンピック、パラリンピック出場にかける想いは毎回違いますか?
三宅:「2012年のロンドン大会でメダル獲得という夢を叶えてしまったので、次へのモチベーションがなかなか上がらなかったんです。それまで4年間貯めてきた心の貯金みたいなものを使い果たしてしまったというか。次もオリンピックに出たい、メダルを獲りたいと思っていても、なかなか心と体が一致しなくて悩むことがあった4年間でした。でもなんとか間に合わせることができ、今回メダルを獲ることができました。オリンピックの4年ごとにいろんなことを学ばせてもらっていますし、そこにあるストーリーも毎回全然違うんです。それがオリンピックの面白さでもあるんですよね」
でも一番の思い入れは100メートルなんだとか?
山本:「僕もだんだんパラリンピックへの想いは変わってきていますね。2004年のアテネ大会を目指したとき、100メートルで0.1秒足りず、結果出場できなかったんです。その悔しさから、次の北京2008大会には絶対出るという想いで励みました。その結果、初めてのパラリンピックで銀メダルを獲りました。その後のロンドン2012大会では、銀の次は金と思って挑んだものの、プレッシャーに潰されてメダルは獲れずに終わってしまった。このメダル無しの状態から、自分は今何をしなければならないのか。それは、もっと世界の大会に出て、世界に勝つ癖をつけることで、それが"勝てる選手"になるために必要なことなんじゃないかって考えるようになったんです。そう実践し続けてリオ2016大会に臨み、今回メダルを2つ獲ることができました」
失敗が成長させてくれるから、もっと頑張ることができる(三宅)
苦しいとき、自分を前に向かせてくれるものは何ですか?
三宅:「成功と失敗だと、失敗からの方が学びは大きく、自分自身を成長させてくれると思っています。筋肉は鍛えれば鍛えるほど大きくなって目に見えるものですが、心の成長は目に見えません。でもいろんな困難を乗り越えたからこそ、どんどん大きくなっていくもの。失敗はしたくないけれど、それが自分を成長させてくれるから、もっと頑張ることができます。そして自己新記録や優勝したときの喜びを知っているからこそ、どんなにつらいことがあってもオリンピックでメダルを獲りたいと思えるんです。やはり4年に1回の喜びは大きいですよね。世界選手権は1年に1回ですけど、オリンピックは4年に1回。これを逃すとまた8年待たなくてはなりません。8歳年をとるわけですし、そこでまた出られるという保証はない。とても難しいことだから、なおさら嬉しいです」
スポーツってすごい力を 持っているんです(山本)
スポーツが教えてくれることって何でしょう?
山本:「事故で片脚がなくなるとわかったときは、『なんで自分なんだ』とか『なんでこんなことになってしまったんだろう』とたくさん考えたこともありましたが、そこに答えはないんです。だからすごく苦しんだし、自分が考えれば考える程どんどん悪い方向に向かってしまった。その苦しさから解き放たれたいと思った時、自分は何を今したいんだろうと考えたんです。もともと小学校で野球、中・高ではバレーボールをやっていてスポーツが好きだったから、脚がなくなってもスポーツやりたいと思うようになったんです。そして、スポーツをしたことで一気に性格が明るくなりました。スポーツってすごい力を持っているんです。体を動かすことはしんどいかもしれないけれど、気持ちのいい汗をかくし、みんな笑顔になる。だから、僕自身がスポーツにすごく救われたんですよね。その中で陸上競技をはじめたのは、陸上用の走る義足と出会ったから。この義足かっこいいな、と思ったんです。このかっこいい義足で早く走れるんだったら、僕もやってみたいって。以前、僕らのパラリンピックの競技を観てくれた方たちとの出会いがありました。彼らは、脚を切断された方たちで、「たくさん落ち込みましたか?」 と聞くと意外と落ち込んでいなくて、むしろ脚がなくても走りたいんです!という人たちが多かったんです。それを聞いて、僕たちがやってきたことの意味って、間違っていなかったんだなと。僕自身も味わった苦しみを彼らも味わっているけれど、僕らの競技を観て、まだ自分たちもたくさんやれることがあるということを感じれば、彼らが苦しみを乗り越えるスピードも変わってくると思うんです」
東京国際フォーラムを満席にすることが私の夢のひとつ(三宅)
東京2020オリンピック・パラリンピック。現在の心境は?
三宅:「東京2020大会、チャレンジしたいと思っています。オリンピックに絶対はないですし、出ることはとても難しいことですが、この4年間で自分の体力の限界に挑戦してみたいと思います。そして、全日本の大会でも空席が多いウエイトリフティングの会場を、東京2020大会の会場である東京国際フォーラムでは満席にすることが私の夢のひとつでもあるんです」
山本:「自国開催ってなかなかない機会ですよね。僕は今34歳で4年後には38歳になります。厳しい年齢ではあるのですが、東京2020大会、頑張ってチャレンジしたいなと!僕も会場の国立競技場を満員にしたいと思います」
早くも東京2020大会出場への挑戦を表明した三宅選手と山本選手。4年後、東京の街で、競技会場で、さまざまなメディアで、両選手をはじめさまざまなアスリートの勇姿を目にする日が今から待ち遠しい。そして、彼らの夢への挑戦を私たちも追いかけ、応援していきたいと願う。
荒井利晃氏
東京2020の前には、平昌2018冬季オリンピック・パラリンピックがあります。かつて夏季と冬季、両方の競技で出場する選手もいましたが、冬季の競技にチャレンジしようと思ったことはありますか?
三宅:「できたらいいなとは思いますが、私はひとつのことしかできないので......ウエイトリフティング一本でいきます!」
山本:「僕も冬の競技は今のところ考えていませんが、何か見つかればやろうかな?(笑)」
小平美帆氏
オリンピック、パラリンピックを観て、私は一個人としてとても励まされましたし、日本代表選手の活躍は、観る人に感動やさまざまなメッセージを伝えると思います。競技を通して、どんな想いを届けたいですか?
三宅:「多くの方から温かい言葉をもらって初めて、私は皆さんに元気を与えているんだと感じました。だから現役のうちに、もっと多くを伝えられるよう頑張りたいですね」
山本:「たとえ脚がなくても、車椅子になっても、スポーツができるということや、たくさん動けるということを見せて、多くの方に届けたいです」
義足体験
歩行用ではなく競技用の義足を間近で見るだけでなく、実際に装着できるという貴重な機会となった義足体験会。足の部分となる板バネが特徴的な競技用の義足。見た目だけでなく履いたときにつま先立ちになるという点も特徴的で、バランスを取るのが難しいとのこと、義足装具士の資格ももつ山本選手の指導のもと、丁寧に装着して歩行に挑戦しました。途中、三宅選手も義足体験に参加し、他ではなかなか見ることのない、互いの競技をきっかけに深めたアスリート同士の交流にも注目が集まりました。
ウエイトリフティング体験
三宅選手のサポートのもと、実際にバーベルをあげるというウエイトリフティング体験会。「とにかく腰には気をつけて」というアドバイスとともに、競技のルールやバーの握り方、持ち上げ方などを三宅選手に丁寧に教わりながら、男女問わず社員の皆さんが6キロのウエイトリフティングを体験。また、会場には三宅選手がリオ五輪最終試技で挙上に成功した107キロのバーベルも登場。バーを握ってその重さを確かめたり、力には自信があるという男性社員がチャレンジする姿には、歓声が沸きました。
#1 WEIGHTLIFTINGオリンピック競技 ウエイトリフティング
「スナッチ」と「クリーン・アンド・ジャーク」の1目をそれぞれ3回ずつ行い最大挙上重量の合計を競います。男女別・体重別の競技のため、体格によるハンディがなく公平に行えます。
競技会場:東京国際フォーラム
#2 ATHLETICSパラリンピック競技 陸上競技
「陸上競技には競技場の「トラック」で行う種目、「フィールド」で行う種目と「ロード」で行う種目があります。各種目は選手たちの障害の種類や程度によって、細かくクラスを分けて競技を行います。
競技会場:オリンピックスタジアム(新国立競技場)
三宅宏実 / Hiromi Miyake
ウエイトリフティング
主な戦歴
2008年 | 北京2008オリンピック48kg級 6位 |
---|---|
2009年 | 全日本選手権53kg級 優勝 |
2010年 | 全日本選手権53kg級 優勝(日本記録更新) |
2011年 | 全日本選手権53kg級 優勝(日本記録更新) 世界選手権53kg級 6位 |
2012年 | ロンドン2012オリンピック48kg級 銀メダル |
2014年 | アジア大会48kg級 2位 |
2015年 | 全日本選手権53kg級 2位 世界選手権48kg級 3位 |
2016年 | リオ2016オリンピック48kg級 銅メダル |
山本篤 / Atsushi Yamamoto
陸上競技
主な戦歴
2008年 | 北京2008パラリンピック 走り幅跳び銀メダル / 100m 5位 |
---|---|
2011年 | IPC世界陸上競技選手権 (ニュージーランド) 100m 銅メダル 200m 銅メダル / 走り幅跳び 銅メダル |
2012年 | ロンドン2012パラリンピック 走り幅跳び 5位 / 100m 6位 / 200m 8位 |
2013年 | IPC世界陸上競技選手権 (フランス) 走り幅跳び 金メダル / 100m 4位 200m 4位 / 4×100mリレー 4位 |
2014年 | アジアパラ競技大会 (韓国) 100m 金メダル / 走り幅跳び 金メダル 4×100mリレー 金メダル |
2016年 | リオ2016パラリンピック男子走り幅跳び 銀メダル 男子4×100mリレー 銅メダル(芦田、佐藤、多川、山本) 男子100m 7位 |
- TOP
- ATHLETE(アスリート)
- SPECIAL&SESSION
- 山本篤 三宅宏美 と義足体験・ウエイトリフティング体験イベントレポート