6人の証言からひもとく、萩野公介
萩野公介
とてつもなく速く、美しくて、しなやか。
数々の名レースを通して世界中を魅了してきた萩野公介の泳ぎの裏側には、彼の才能はもちろん、凄まじい努力と温かい周囲の人々の熱い支えによって乗り越えてきた、いくつもの試練や困難があります。
天才でストイック、そして努力家。だけど、やんちゃで、時に甘えん坊? スイミングスクールの先生、学校の先生、切磋琢磨してきた戦友たち……、彼のアスリート人生に深く関わり、彼の喜びも苦しみも、強さも弱さも見守ってきた6人の愛に溢れた証言からは、アスリートとして、そして一人の人間としての萩野公介のありのままの姿が見えてきました。
【目次】
▼ 粂川進先生:「強さも弱さもひっくるめて、萩野公介なんだ」
▼ 山田有二先生:「彼は、何かを成し遂げた時の“笑顔”が素晴らしい」
▼ 竹澤孝幸先生:「その全力投球な姿勢が、私の夢を叶えてくれた」
▼ 星奈津美さん:「彼のお陰で、乗り越えられた苦しい日々がある」
▼ 小堀勇氣選手:「ライバルであり戦友であり、甘えん坊な友でもある」
▼ 清水咲子さん:「強いのも公介だし、優しくて臆病なのも公介」
みゆきがはらスイミングスクール 粂川進先生
「強さも弱さもひっくるめて、萩野公介なんだ」
萩野選手が当スクールにやってきたのは小学校3年生の頃。すでに噂になっていたスター選手でしたが、一見至って普通の子供のようでした。ですが、ひとたび泳げばその実力は一目瞭然。同じ年代の生徒とあまりにもスピードが違うので、レースでも萩野選手を目で追うと他の選手が見えなくなってしまうほど(笑)。優秀で"完璧"でした。一方で、あまり自分の本心を話せない子供だったとも思います。取材の受け答えは小学生の頃から大人びていましたし、練習でも涙一つ見せたことがありません。おそらく、大人の期待を子供ながらに理解して「弱音を吐いてはいけない」と厳しい練習に必死で向き合っていたと思います。
そんな萩野選手の弱さをはじめて垣間見たのは、2019年に彼が休養に入ることを決めた時。同年2月の国内大会の決勝を棄権し心配していた頃に、当スクールに突然ひょっこり現れて。「しばらく休もうと思います」と本音を話してくれました。オリンピックの金メダルをとった人間というのは、いわば世界で一番高い"山"に登ったわけですよね。山というのは登るよりも降りる方が大変。「今から山から降りようというのであれば、ふさわしい身の振り方をしなさい」と本人に伝えたと思います。
東京2020オリンピックに挑む萩野選手に唯一言えることは、水泳を大好きでいてほしいということ。そして、目標に向かって頑張る自分を一番に信じてほしいです。そのためには、とにかく自分が納得できるまで練習を続けることに尽きると思います。弱さも苦しみも抱えた一人の人間として、もう一度勇気を絞り出してほしいです。
作新学院中等部 山田有二先生
「彼は、何かを成し遂げた時の“笑顔”が素晴らしい」
私が担任を務めていたのは中学2年生の時。公介はとにかく活発で、4、5人の仲間で休み時間に水風船を作って投げ合って遊んだり、時には校則違反の整髪料をつけてきて私にバレるかどうかを試すような遊びをしたりしていて。叱ったことも何度もありました(笑)。一方で、やるべきことはしっかりやる子。リーダーシップを発揮してぐいぐい引っ張るわけではないけれど、クラス全体を良い方向に導いてくれる生徒でもあったんです。例えば、遠征などで長期間学校に来られないこともたびたびありましたが、事前に課題を終わらせたり、授業に参加できず抜けてしまった単元は自分で勉強して、あとから質問しにきたり。水泳はもちろん、勉強にも遊びにも、すべてに一生懸命でした。
卒業してから印象的だったのは、成人式の時に行われた同窓会でのこと。近況を聞いてみると、「最近は、監督やコーチなど、自分のために色んな人が力を注いでくれていることに気づいて、練習に対する取り組み方が変わったんです」という言葉が返って来て。それを聞いた瞬間に「大人になったんだな」と感慨深い気持ちになりました。本当に嬉しかったです。
公介は、人と関わってともに何かに取り組んだり、自分の納得いく何かをやり遂げたりしたときに、すごくいい笑顔になるんですよね。それが可愛いですし、魅力的だと思っています。今は踏ん張りどころだと思いますが、結果よりも何よりも自分らしく楽しく臨んでくれたらいいなと。その結果、いつもの"いい笑顔"を私たちに、そしてみんなに見せてくれたら何よりです。
作新学院中等部 竹澤孝幸先生
「その全力投球な姿勢が、私の夢を叶えてくれた」
中学3年生の時の担任です。他の生徒たちと一緒にはしゃぐ、明るく賑やかな生徒でした。私の担当でもある体育の授業はやっぱり得意でしたね。印象深いのは、2年生の時の⻑距離走大会。私は当時、自転車に乗ってレースを先導していて、萩野は「私の自転車を抜かす」と宣言(笑)。逃げに逃げたところ、彼も全速力で追いかけて来て。その結果、2位以下をかなり引き離してぶっちぎりでゴール。ものすごく早かったです。そして、ゴール後にかけられた「先生のこと、抜けなかった」の一言が、今でも忘れられません。相当悔しかったんでしょうね(笑)。
卒業してからも時々学校を訪れてくれていて、2019年の休養期間にも来てくれました。話したのは、たわいもないことばかり。思い出話をしたり、彼が話す社会人になってからのエピソードをみんなで大笑いしながら聞いたりしました。その時間は、水泳のことを忘れてリフレッシュしてくれたのではないかと思っています。
萩野は、私の夢を叶えてくれた生徒でもあります。私自身、器械体操でオリンピックの金メダルを獲得することを目指していましたが、志半ばで諦め、指導者になりました。だからこそ、彼の人生に少しでも関われたことが、自分にとっての財産になっています。今は正念場だと思いますが、実はそんなに心配していないんです。彼ならきっと大丈夫だろうなと。ただ一つ言いたいのは、誰かのためではなく、自分のために頑張ってほしいということ。「もう一度金メダルをとらなければ」。そんな考えは捨てて、楽しんで泳いでくれればそれでいいと思います。
元競泳選手 星奈津美さん
「彼のお陰で、乗り越えられた苦しい日々がある」
練習に強い。それが萩野選手の印象です。深く関わるようになったのはロンドン2012オリンピックに向けた日本代表合宿でした。彼は「潜水をしながら息を整えろ」と無謀なことを言われた伝説があるほどハードな練習をこなしていて(苦笑)、しかもそのまま大会で戦える速さで泳ぐので、人間離れした選手だなと思いましたね。
2014年からは、平井伯昌コーチのもとで一緒に練習を始めました。特にリオ2016オリンピック前の数ヶ月は、萩野選手のおかげで乗り越えられたことがたくさんあります。例えば、ノルウェーでの高地トレーニング。酸素の薄い場所で200mバタフライを泳ぐ練習には、恐怖心があったのですが、隣で萩野選手は400m個人メドレーをドンと構えて泳いでいて。その姿に背中を押されました。一方で、練習の合間には一緒に観光もしました。釣りをしたのですが、私は全然釣れず。でも萩野選手はしっかり魚も釣っていて、やっぱり集中力が段違いだなと(笑)。練習もオフも共に過ごしたからこそ、萩野選手が金メダルをとった瞬間は私も涙が溢れましたね。
私はリオ2016大会後に現役を引退しましたが、萩野選手のどこか苦しそうな様子は見えていました。強い彼を知っているからこそ、葛藤する姿には驚きましたし、心配もしていました。休養に入ることは大きな決断だったと思いますが、復帰後に少しだけふっくらした朗らかな彼を見た時は、私も嬉しくなりましたね。言いたいのは「一ファンとして、ただ応援してるよ」ということ。月並みですが、怪我にだけは気をつけて頑張ってほしいです。
競泳 小堀勇氣選手
「ライバルであり戦友であり、甘えん坊な友でもある」
公介と親しくなったのは中学生の時。共に日本代表としてオーストラリア遠征のメンバーに選ばれて、練習や寝食をともにし、たまたま同じ機種の携帯を使っていたことも助け(笑)、深く話をするようになりました。練習を間近で見て、その能力の高さを実感しましたね。彼はいわば“燃費のいいスポーツカー”。スピードもあるのに持久力もある。一つ年下ですが、圧倒的な力の差を感じた記憶があります。
2014年からは平井伯昌コーチのもとで一緒に練習をしていて、リオ2016オリンピックでは、800mリレーにともに出場しました。第4泳者の松田(丈志)さんがゴールした時、僕は「やった! メダルだ!」と喜んだのですが、公介は悔しそうで。もう少しで銀メダルがとれたという事実を冷静に受け止めていて、また刺激をもらいましたね。
そんなエピソードに触れると、やっぱり公介はストイックな印象になると思いますが、彼には「甘えん坊」という言葉もぴったりなんです。「コボちゃん、ご飯行こうよ!」としつこく誘ってくるし、好きなものについて喋り出したら止まらない(笑)。すごく人間味に溢れています。だから、休養を経て笑顔が増えたのは、いつもの公介が戻ってきたようで嬉しかったですし、最近は一歩ずつ前に進もうとしてるところを僕から見ても感じます。競泳は、最終的には自分との戦い。弱気になりそうな時に、いかに強気に自分を奮い立たせられるかが重要です。もちろん、自分自身も同じ。互いの目標に向かって、切磋琢磨していけたらいいですね。
元競泳選手 清水咲子さん
「強いのも公介だし、優しくて臆病なのも公介」
公介とはスイミングスクールでも、作新学院でも、平井伯昌コーチのもとでもともに練習に取り組んできました。人懐っこくて、高校生の頃はコンビニに行くにもちょこちょこ付いてくるような可愛い後輩(笑)。でも練習では絶対的な集中力を発揮するので、日々刺激をもらっていましたね。印象深いのは、2014年の国内大会でのこと。私は400m個人メドレーで初めて優勝することができたんですが、2種目で優勝した公介がインタビューで「今日は自分のことより、清水選手の優勝の方が嬉しい」と話してくれて。リオ2016オリンピックに向けて背中を押してもらえました。
私と公介は、日頃から悩みを共有し合うよりは、本当に壁にぶつかった時に連絡をとる間柄です。だからこそ、2019年に休養に入ることは自分から連絡をくれて教えてくれました。理由は聞かずとも、彼の決断を応援したいなと思ったことを覚えています。休養中は、ドイツを旅したと聞きました。自分の嫌な部分をノートに書き出し、それを全部ドイツに置いてきたと(笑)。帰ってきた時、スッキリした表情の公介に会えたので、安心しましたね。
あるテレビ番組で、公介が自分のことを「ロールキャベツ」と例えていましたが、本当にその通り。優しくて穏やかな性格ですが、自分の目標に向かうために色んな殻を被って強く見せていると思います。でも実は弱かったり、怖がりだったりもするんです。一度頂点に立った選手の葛藤の全てを理解することはできませんが、私もみんなも、金メダルをとる公介が好きなのではなく、楽しく泳ぐ公介を応援している。だから東京2020オリンピックでも、自分の納得いく泳ぎをして笑顔で終えてくれれば、それ以上はもう何もいりません。
萩野公介KOSUKE HAGINO
1994年栃木県出身。0歳の時から水泳を始め、小学校低学年から学童新を更新。中学・高校でも各年代の新記録を樹立する。高校3年時のロンドン2012オリンピックでは400m個人メドレーで銅メダルを獲得。東洋大学進学を機に平井伯昌氏に師事、リオデジャネイロ2016オリンピックでは3つのメダルを獲得した。2017年に同大学を卒業し、ブリヂストンの所属契約選手となる。
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