サイト内検索

「夢」から「明確な目標へ」
自己を見据え、東京2020オリンピックに集中する。

太田りゆ

  • インタビュー
  • 自転車競技・トラック
太田りゆ

競輪の花形選手として活躍しながら自転車競技短距離のナショナルチームに所属する太田りゆ選手。自転車競技未経験ながら華々しいデビューを飾り、はつらつとしたキャラクターも手伝って注目を集めてきたが、アスリートとして越えねばならない壁もあった。そして、壁を越えた今、太田選手が見つめる先に東京2020オリンピックがある。

太田りゆ選手

抜群の運動神経とハイテンションで、快進撃を

未経験から自転車競技の世界に飛び込んで、まだ4年。それまでは800メートルの陸上選手で、自転車は通学に使う程度だった。
「家計を支えるために稼ぎたくて、体育大学在学中に競輪学校を受験したんです」
運動は幼いころから「周りから浮いてしまうほど得意だった」という太田選手。中学時代も男子顔負け、高校生になると逆に、「こんなに体育を張り切るのは恥ずかしいんじゃないかと思った」とか。運動能力を活かせて、若くして家族の分も稼げる職業として、競輪を選んだのは納得できる。

適性試験に合格した太田選手はいきなり才能を開花させ、在学中から記録を達成していった。その実力はナショナルチームのヘッドコーチにも認められ、アジアの大会に出場し、チームスプリントで3位をマーク。ガールズケイリンのデビュー戦でも完全優勝という快進撃ぶりで、一躍マスコミの注目を集めた。

太田りゆ選手

太田選手の人気は、その明るくはつらつとしたキャラクターにも由来している。
「生きてる8割くらいはテンションが高すぎて、自分でもどうしたらいいか分からないくらいなんです(笑)」
小学生の頃のこんなエピソードもある。
「家から学校まで、まず最初に走ってみて時間を測り、次の日はそれより速く走るっていうことを毎日トライしてました。そのために親にねだってストップウォッチ付きの時計を買ってもらったり、ランドセルが邪魔にならないよう肩紐をできるだけ短くしたり。で、毎日タイムをノートに記録するんです。誰に褒めてもらうわけでなく、ただ、タイムが速くなっていくことが面白くて......」
生まれながらのアスリートだ。
大好きなおしゃれも、テンションが高い。
「オンとオフを切り替える意味もあって、休日はこれでもかっていうくらい濃いメイクをして、派手なヘアスタイルで出かけます。この間は、ピンクに染めていた髪をキャラクターの耳のようにしたスタイルでテーマパークに行きました。どうか私のことを知っている人がいませんようにと願いながら(笑)。練習のときとは違う自分になって遊ばないと、本当に、切り替えるっていうのは難しいんです」

太田りゆ選手 太田りゆ選手

待っていたスランプ。勝てない、闘えない苦しい日々

自転車を始めて生活が一変した太田選手。「正直、戸惑いました。当時は自転車競技の知識もなければ他の選手のレベルも知らず、記録の価値もよく分からない状態で、結果を出したという実感も持てなかったんです」
実際、すぐにスランプがやってきた。
「それまで勢いで難なく勝てたこともあり、無自覚なままプロになってしまったんでしょうね。毎日の練習も"何となく"していて、世界的な大会にも出場できるんだろうと"何となく"思っていて......。でも、もちろんそんな甘い世界じゃないから、全然勝てない。勝てない以前に、闘えない。競争するのが怖いし、自転車に乗ることさえ怖いくらいになってしまいました」

人生で一番落ち込んだ。これじゃいけない、日本代表なんてとても務まらない。いっそ、もう自転車競技を辞めようか。そこまで悩んで、思い詰めて、なんと一時は円形脱毛症にまでなった。
「コーチとも何度も話し合いました。結局そのシーズンの世界大会には1、2戦しか出場できず、コーチから『この先はもう行かせない』と言われ、そこでだいぶ意識が変わったと思います」

太田りゆ選手 太田りゆ選手

他の選手が遠征する中、太田選手は一人日本に残った。アメリカ合宿にも参加できず、ひたすら地道にペダルを漕ぐ日々。SNSで知る海外組の楽しそうな様子も胸に堪えた。「私はこんな苦しいのに......」

しかし、明けない夜はない。黙々と練習を積むその中で、次第に気持ちが上向いてきた。支えてくれるスタッフの存在も励みになり、「絶対にみんなと一緒に頑張る!」と、強い気持ちを持てるようになったという。
「みんな(他の代表選手)と会わなかった時間が長かったから、そこでまたちょっと立ち直った部分もあったかもしれません」
日本代表には相応のキャリアと実績を有するスター選手がそろっている。そんな中に競輪学校を卒業したばかりの自分がよく分からないまま入ってしまい、ギャップに悩み、コンプレックスも抱えていたと、太田選手は振り返る。
「周りからの評価も意識しすぎていたと、今は思います。自分はそんなに強くない。弱いんだっていうことを認めはじめて、いろいろと開き直ってから、ちょっとずつ伸びてきました」

太田りゆ選手

自分自身に向き合うことで練習もレース展開も変わった

太田選手がチームブリヂストンサイクリングに加入したのは、ちょうどどん底から這い上がる時期と重なっている。まず、練習への取り組み方が変わってきた。
「それまでのように"何となく"ではなく、一本一本の走りについて、自分が何を意図したか、どういう感覚だったかなど、メモを取るようになりました。一つひとつ考えて練習しているので、すごく疲れるんですよね(笑)」
思うように走れなくて、落ち込みながら帰ることもある。意識を変えるだけで、同じ練習でもまるで違う内容になるとわかった。

よそ見をせずまっしぐらに突き進むテンションや、己を追い込む意志の強さ、ストイックさは、太田選手が持って生まれた優れた資質だ。それゆえ華々しいスタートを切れたのだが、それだけでは続かなかった。苦しいスランプは己を見つめるいい機会になったのだろう。今の太田選手は、前だけでなく全方位を見渡す視野を手にしたように見える。競技への理解を深め、世界の中での自分の立ち位置も把握して、再スタートを切ったといえよう。自己の強みや弱みをとらえ、練習に活かすこともしている。
「私の強みはダッシュ力です。低速から一気に加速する力や、短時間でトップスピードに乗せる力は海外の選手と比べても劣らないし、戦える武器だと思っています。逆に課題は持久力で、長い距離を仕掛けられるよう、目下、ロード練習をかなり多めに行っているんです」

太田りゆ選手 太田りゆ選手

東京2020オリンピックに向け、伸びしろしか感じない

自転車競技について、「かっこいいし、もっと注目されていいと常々思っています」と太田選手。
「自転車競技は人間が出せる最高速度のスポーツです。男子では時速70キロ、女子も65キロ以上のレースをします。その走りをトラックで間近に見たら、きっと鳥肌が立ちますよ。音や風、選手の肉体の動き、表情がわかることもあります。そういうのが、すごくかっこいいと思うんです」

太田りゆ選手

もっと多くの人に、普段から競技場に足を運んでもらいたい。そのためには新しいファン層へもアピールすることが大事だろう。そう考える太田選手は、例えば日本最大級のファッションイベントに参加してユニフォーム姿でランウェイを歩くなど、トラック外の活動にも積極的だ。
「自分でもどんどん発信していこうと、1年前からSNSを始めました。定期的に更新し、レースの前後やイベントなどでは必ずアップするようにしています」

来年に迫った自国開催のオリンピックは最高の舞台であり、聴衆を感動させる絶好の機会だ。太田選手の思いもとりわけ強い。
「苦しい時期に、日本代表としてオリンピックに出たいという気持ちは大きなモチベーションになりました。プロとして稼ぐことを目的に自転車を始めましたが、乗り始めてすぐに、お金より大事なことがあると気づかされたんです。自分がやりたいこと、求めていたものに出会ったと、一瞬にして確信しました」

最初のころ、オリンピックは夢だった。ふわっとして、胸がときめくものだった。しかし今では明確な目標だ。昔から、決めたことは絶対に曲げず、持ち前のテンションと圧倒的な意志の力でやり遂げてきた太田選手。「メンタルではもう負けていない。あとは基本的な練習をもう一度きっちり確認して、実力をつけたい」と話すその目には、意気込みだけでなく、自身への信頼も感じられる。東京2020オリンピックに向けて集中する自分に「伸びしろしか感じない」そうだ。

太田りゆ選手

PROFILE

太田りゆ

太田りゆRIYU OHTA

1994年生まれ、埼玉県出身。中学高校と陸上部で800mに打ち込む。陸上で培った体力と持ち前の脚力を活かすべく全く未経験から自転車競技を始める。競輪で活躍する傍ら、日本代表チームで短距離選手として活動中。2018年チームブリヂストンサイクリング加入。

    SHARE
    近谷涼✕窪木一茂✕橋本英也 スペシャル対談

    近谷涼✕窪木一茂✕橋本英也 スペシャル対談

    自転車競技に情熱を注ぐ3人が追い続ける夢、そして目標とは。

    SHARE このページをシェアする

      このページの先頭へ