苦境や葛藤を乗り越え、自分の泳ぎにまっすぐに。
萩野公介
17歳の時にロンドン2012オリンピックに出場し、男子400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得。次のリオデジャネイロ2016オリンピックでは、同種目での金メダルをはじめ、銀メダル、銅メダルにも輝いた萩野公介選手。自身3度目となる東京2020オリンピックに2種目での出場を決めた今、これまでの心境と大会への意気込みを語った。
過去のさまざまな経験が、大一番での心強さに繋がった
今年4月に開催された、東京2020オリンピック代表選考を兼ねた国内の大会。男子4×200メートルリレーの代表メンバー入りを果たしたレースに続き、萩野公介選手は、男子200メートル個人メドレーの出場がかかった大一番を迎えた。レースは長年のライバルでもある瀬戸大也選手と激しいデッドヒートを繰り広げ、最終的に僅差で敗れはしたものの、派遣標準記録を突破。3大会連続で同種目でのオリンピック出場を手にした。
レースを振り返った萩野選手は、こんな言葉を口にした。「過去のオリンピックを含めて、ここに至る過程で、本当にいろいろな経験をしてきました。それが最後の舞台で自分自身への心強さに繋がったと思います」
そう語るのには理由がある。前回のリオ2016オリンピックでは、金・銀・銅メダルを獲得。その勢いのまま、東京2020オリンピックへの出場も決めるかに見える萩野選手だが、前大会の翌シーズンに想定外の不調に陥り、その結果、3ヶ月間の休養を余儀なくされた。
理想の泳ぎとの間に生じたズレ
「リオデジャネイロでオリンピックのあった2016年のシーズン終了後に古傷の右肘を手術しました。その翌年は、手術明けの影響もあって自分の体とうまく向き合えない時期だったと思います。それまでできていた感覚で泳ぐことが難しくなってしまう部分があり、自分の追い求める理想の泳ぎと、実際の泳ぎにズレが生じてしまった。どうしてうまくいかないんだろうと思いながら泳いでいたんです」
毎日練習をしているのに、泳ぎのテクニックも自分の気持ちもしっくりこない。レースに出てもやっぱり違う。そんな違和感が常にそばにあるような感覚が続いたと話す萩野選手。それを拭い去ることができないまま、少しずつ調子を崩していった。
「当時は、なにかもう全部が漠然としている状態でしたね。応援してくださる方から"頑張ってください"って言われた時に、"はい、わかりました、頑張ります"と口では言っていても、どう頑張ったらいいのかわからなかった。その先にあるものが自分の中で見えなかったし、ゴールである、なりたい自分になるために歩もうとしても、全然違う目的地に向かって進んでいるような感覚でした」
その先にゴールはないなと感じて、「どうして今、泳いでいるんだろう?」「このままいったら自分はどうなっちゃうんだろう?」などと日々思い悩んでいたと話す萩野選手。いつしか泳ぐことが辛くなり、日本選手権を欠場。休養期間をとることを選択した。
休養期間中はドイツとギリシャを訪れたという萩野選手。金メダリストではなく、ひとりの日本人として現地の人々と接することで、少しずつだが心身ともに癒されていった。さらにかつての練習場所である栃木県宇都宮市のスイミングスクールを訪ね、恩師とも再会。初心に立ち返り、自分の本心をゆっくり見つめ直す時間を経て、休養からおよそ3ヶ月後、練習に復帰した。
一度は引退をすることも考えた
休みが明けてからも、前に進もうとする気持ちとは裏腹に、身体は思い通りに動かなかった。休養前と変わらない練習内容に取り組むも、休んでいた分、以前と同様の泳ぎはできなかったのだそう。
「以前はできていたこともできなくなっているし、泳げていたタイムでも泳げなくなっている。調子を取り戻すのはとても大変でしたが、休んだことも自分で決めたことなのだからと自分に言い聞かせながら、ひたすらに練習を続けました。休養した段階では引退をする可能性も含めて、さまざまなことを考えていましたが、気づいたのはまだやり残したことやチャレンジしたいことがあるということ。熟慮の末に続けたいという気持ちが勝って競技に復帰したので、たとえ苦しいことがあっても、今、自分ができることを全て、精一杯やりきろうと決めたんです」
オリンピックの延期で準備の時間が増えた
そして、迎えた2020年。ついにオリンピックイヤーが幕を開けるが、ここで予期せぬ事態が勃発する。新型コロナウイルスの世界的な大流行だ。感染規模は日に日に拡大し、オリンピックが予定通り開催されるのか不透明な状態が続いた。そんな状況にも関わらず、萩野選手は、東京2020オリンピックが予定通りに行われると信じて、日々トレーニングを重ねていく。「やりきると決めていたし、もう後悔したくないから、ちゃんと練習をして待とうと思ったんです」
しかし、無情にも3月に、オリンピックの選考会も大会自体も延期が決定。それまでやってきた成果が出せずに残念さを感じる一方で、1年延びたことで得た時間を無駄にすることがないよう、可能な限りの準備を続けた。そして、待つこと1年。2021年4月に東京2020オリンピックの代表選考を兼ねた、1年越しの大会に挑んだ。
「自信を持って泳ぐということは、自信が持てるトレーニングをするということ。以前は、十分な練習を積み重ねていても自信が持てず、大丈夫かなと不安な気持ちでレースに臨んでしまう時がありました。「これはできてる、これもできてる、これだってできてるけど、でも、これってどうなんだろう?」と不確定な要素を探していたんです。でも、今回の僕はそうではなかった。毎日水のひとかきにまで気をつけながら泳いできたし、やりきるという気持ちで練習ができていました。選考会の前は、体調は悪くない、風邪もひいてない、よく眠れている。安定したトレーニングができて、内容にも自信がある。ということは、自然に泳げばタイムもある程度出るという結論に至っていました。自分ができることや、やってきたことを大切に、それを力に変えて頑張ろうというイメージができていたんです」
自分の泳ぎだけに集中して、オリンピック出場を手中に
休養期間をとるなど、紆余曲折を経て辿り着いたオリンピック選考を兼ねた大会。結果は、男子200メートル個人メドレーと、男子4×200メートルリレーの2種目での出場を勝ち取ることができた。一発選考で行われるため、どんな形であれ代表権を獲得することができてホッとしたと萩野選手は話す。
「レース本番では、自分の泳ぎだけに集中していました。決められた距離の中で、純粋に自分の今の力を100%出し切ろうという気持ちで泳ぐことが大事だと思っていたので、レース前もほとんど緊張はしなかった。レース中に細かいミスがいくつかあって、多少の焦りは感じましたが、たとえそれでうまくいかなくなったとしても、それはそれで次に繋げていけばいいというふうに思いながら、最後まで泳ぎ切ることができました」
年齢を重ね、ほかの選手への視線が変化
萩野選手は、東京2020オリンピックを26歳で迎える。オリンピックに初めて参加したロンドン2012大会の時は、競泳陣で最年少の17歳だったが、3大会目となる今回は、代表選手の中でも上の年代になった。
「ロンドン2012大会では、日本の競泳陣の最年長が当時29歳の北島康介さんでした。その時は北島さんや松田丈志さんなど上の年代の方と、僕のような下の年代が多くて、真ん中の世代が少なくて。今回の競泳陣も似たような世代構成になったこともあり、今度は僕があの時の北島さんや松田さんの立場になっていると感じています。以前はレースの際にほかの選手を打ち負かしていくようなイメージも強かったし、代表選考を兼ねた4月の国内大会でも自分の結果が一番大事だと思って泳いではいました。ただ、一緒に泳いでいる選手を見る目線や、他の種目の選手を見る視点は、17歳の時とは少なからず変わってきていると思いますね。ライバルというよりも後輩を見るような感覚で、みんな頑張っているなあと思うようになりました」
自分の実力を発揮すれば、世界の舞台で戦える
一時は心身ともに調子を落とし、やむなく水泳から離れ、引退すら考えた萩野選手。自分と向き合い、苦難を乗り越え、いよいよ東京2020オリンピックというところで、コロナ禍により、大会は1年の延期に。さまざまな事態に翻弄されながらも、必死につかみ取った3大会目となるオリンピック。開催に向けては様々な意見があり課題も多いが、もし予定通り開催されたらどんな大会にしたいか、萩野選手に聞いてみた。
「リオ2016大会からブリヂストンの皆さんに大きく支えられてきました。特に休養中にかけていただいた『私たちは金メダリストの萩野公介を応援しているのではなく、チャレンジし続ける萩野公介という人間を応援しています』という温かい言葉は、今でも忘れもしません。まだまだやることはたくさんあり、ハードな合宿も続きます。世界の状況が落ち着かない中ですが、安全に開催されることを願いながら、選手としては万全の状態で臨めるよう準備を続けるのみです。本大会では、ここまで支えてきてくれた全ての人に対して、恩返しをする気持ちで泳ぎたいと思っています」
前回大会の金メダリストは、今大会で新たな物語をどのように紡ぐのだろうか。もし予定通り開催されれば、萩野公介選手のパフォーマンスに、世界中の人々の視線が注がれることは間違いないだろう。
萩野公介KOSUKE HAGINO
1994年生まれ、栃木県出身。0歳の時から水泳を始め各年代の新記録を樹立。高校3年時にロンドン2012大会400m個人メドレー銅メダル。リオ2016大会では同種目の金メダルを含む3つのメダルを獲得。2017年に東洋大学を卒業し、ブリヂストンの所属選手となる。2021年に開催された東京2020大会で自身3度目のオリンピック出場を果たし、同年現役を引退。大学院に進学する傍ら、水泳を始めとするスポーツ・アスリートの魅力を様々な形で発信するなど、新たな夢に向かって挑戦を続けている。
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