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限界まで攻めるスタイルで、世界の頂点に。

狩野亮

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狩野亮

チェアスキーと呼ばれる専用のマシンに乗り、雪の急斜面を滑り降りる速さを競う。最高時速は100キロ超え。ベテランの選手でも恐怖を感じるというこの競技において、スピードを殺すことなく限界ギリギリまで攻めるスタイルで、世界の頂点に何度も立ってきたのが狩野亮選手だ。長年にわたりキャリアを積み上げてなお前に進み続ける今、これまでを振り返り、これからの展望を語った。

負けず嫌いは、子どもの頃から変わらない

「幼少期は、ひとつ上の兄ができることはなんでもできると思っていました。わんぱくで負けず嫌いなところもあって、できるまでは決してあきらめない子どもだったと思います」

狩野亮選手

勝負事における勝つことへのこだわりは、今でも変わらないと話すのが、チェアスキーの世界でトップレベルの活躍を続ける狩野亮選手。スキーと出合ったのは2、3歳の頃。スキーの指導員だった父親に連れられてゲレンデに行き、父母に抱えられながら、雪上を滑っていたという。上達も早く、小学生の時には競技としてのスキーを始めようと考えていた。しかし、その矢先に交通事故に遭い、車いすの生活となる。小学3年生の時だった。

そんな狩野選手のために尽力したのが、活発な両親だった。「父はスキーと野球をやっていて、母は体育の教師でした。そんな両親だからこそ、すぐに車いすでもできる競技を探してきてくれて、やれることはなんでもやってみようとアーチェリーや水泳、車いすバスケなどに挑戦しました」そして、チェアスキーの存在を知り、再び雪上を滑れるようになった。「やっぱり雪の上は非日常の世界に入っていけることが楽しいし、性にも合っていたんでしょうね」

長野1998冬季パラリンピックを観て変わった、チェアスキーの概念

パラリンピックを意識したのは、長野1998冬季パラリンピックを観たことがきっかけだ。「テレビのニュースで滑降の映像が流れてきた時に、チェアスキーでもこんなに速く滑ることができるんだと衝撃を受けたんです。カッコいい世界だなと感じて、そこからパラリンピックを目指すようになりました」当時は中学1年生で、自分もやっていたとはいえ、ゆるいコースをよちよち滑るようなレベルで、ソリの延長線上という感覚だった。それがニュース映像を見たことでチェアスキーへの認識が一気に変わった。

狩野亮選手

そこから毎日ナイターで練習をするようになる。だが、本気でスイッチが入ったわけではなかった。「口ではパラリンピックを目指すと言っていましたが、ダメなアスリートだったと思います。特に夏場は週1〜2回それっぽいトレーニングをする程度で、大学生になると友達と遊び呆け、サッカーゲームをやったり、飲み会に行ったりして、学生生活を思いっきり謳歌していたんです」

トリノ2006冬季パラリンピックで惨敗し、あらゆる改善を決意

長い間、チェアスキーに対してダラけた気持ちだったと話す狩野選手。変わったのは大学2年生の時。トリノ2006冬季パラリンピックに出場してからだった。「コーチが僕の若さに可能性を見出してくれて、無理やり出場させてくれたという感じでした。結果として惨敗を喫することになり、反省しかなかったですね。先輩の森井大輝選手が銀メダルを獲得して、それを見た時に、このままの自分では、パラリンピックの舞台で何も成し遂げられないと思い、ただただ恥ずかしかった」

トリノ2006でのレースがすべて終わると、日本へ帰る前からトレーニングがしたくてたまらなくなった。帰国後はすぐに生活を見直し、栄養士やトレーナーに食事や練習内容を相談するなど、あらゆるところを改善することから狩野選手の挑戦がスタート。「すべての時間をチェアスキーのために費やそうと思い、朝にトレーニングをして、午前中の授業を挟んで、昼休みにもトレーニング。さらに放課後は所属していた大学のスキー部の練習に参加しました。友達と遊んでいる最中でも"俺ちょっと1回走ってくる"と言って、実際に走ってきてから、また遊びに戻るということまでしていました(笑)」

予期せぬ金メダルによって、狂い出した歯車

そして、バンクーバー2010冬季パラリンピックに出場。「前回のトリノ2006があまりに酷かったので、そこから成長した姿を見せたいと思って臨んだ大会でした。自分の中で本命種目だった滑降※1)で銅メダルが取れた時点で、目標は達成したなと思い、ホッとしました。これで日本に帰ることができると。続くスーパー大回転※2では、肩の荷が降りたためか楽しく滑ることができ、それが自分でも予期しなかった金メダルの獲得につながったんです」

※1 滑降
アルペンスキーの競技種目のひとつ。アルペン競技の中でもっとも長い距離を、もっとも速いスピードで滑り降りる種目で、コースの途中にはジャンプも設けられ、その飛距離は数十メートルに達することも。

※2 スーパー大回転
「滑降」と合わせて「高速系種目」と称されるアルペンスキーの競技種目。高い技術が求められるターンと、滑降に匹敵する飛距離の長いジャンプが特徴。

狩野亮選手

自分の意識が変われば、結果がついてくることを実感できた大会だったと話す狩野選手。しかし、運命とは皮肉なもので、この金メダルが、のちに狩野選手を苦しめていく。

勝つことだけに気を取られ、順位だけを欲していた

それまでに出場した世界規模の大会では、2位が最高成績。パラリンピックで金メダルがとれるとは思っていなかった。「自分の中では、狙ってとったのではなく、たまたまとれてしまったという印象だったので、まだ世界一の実力じゃないから納得するなよと自分に言い聞かせていました。でも、帰国して金メダリストとしてもてはやされているうちに、満足感や達成感を感じるようになり、余計なプライドまで生まれてしまい、それを消し去ることが大変でしたね」

例えば、チームメイトが世界大会で優勝しても、素直に祝福できない。なぜ自分が表彰台にいないんだというモヤモヤした感情。トレーニングの内容をよりハードなものに変えても、結果がついてこない苛立ち。選手として気持ちの余裕がなくなっていった。「以前であれば、自分のベストの滑りをすることが重要で、順位は結果としてついてくるものだと捉えていました。でも、金メダル獲得後は、勝つことだけに気を取られ、順位だけを欲するようになっていったんです」

狩野亮選手

レースで大失敗したことで、悪循環から脱却

狩野選手は競技において、限界までスピードを出す攻めのスタイルを貫いている。そのため、無事にゴールできたら良い結果につながるが、攻めすぎてしまいコースアウトに至ることも多い。「そういう時に、自分は世界一だというプライドが邪魔をして、ミスを素直に受け入れられなくなっていたんです。そうなると余計に勝ちたい気持ちが高まり、さらに空回りしてしまう。悪循環に陥っていました」

その状態から抜け出すことができたのが、ソチ2014冬季パラリンピックの前年に行われたプレ大会だった。「滑降の種目で、3レース中最初の2レースで大失敗。最後の3本目はビビりながらなんとかゴールをするというレース展開になってしまったんです。その時に、自分がもう1回がむしゃらにならないとトリノ2006の二の舞になると思えて。それが変わるきっかけをくれましたね」。ソチ2014まで実質1年というタイミングで、気持ちを切り替えることに成功。本番では滑降とスーパー大回転の2種目で金メダルを獲得することができ、狩野選手は見事に復活を遂げたのだった。

北京2022冬季パラリンピックでは、まだ戦える姿を見せたい

狩野亮選手

ソチ2014で自身も納得の金メダルを獲得後、平昌2018までは、パラリンピック3連覇を目指して競技に取り組んだ。しかし、それを叶えることはできず、今は新たな目標に向かって歩みを進めている。「3連覇を達成できなかった時に、応援してくれた人にまで悔しさを与えてしまったと思うんです。だから、その方々にもう1回だけ、まだ狩野亮は戦えるんだっていう姿を見せたい。それが今の自分にとって競技を続ける一番のモチベーションになっています」

そんな狩野選手が目指すのは、北京2022冬季パラリンピックだ。「僕の中では出場するだけが目標ではありません。どういう結果を出せるのか、どういう滑りができるか。そこを重視して日々練習に励んでいます。本番では雪を撒き散らしながら猛スピードで斜面を滑り降りる迫力や豪快さをみてほしいですね。特にパラリンピックでは4年間の努力の成果が0コンマ何秒の差で決まることもあります。0.01秒でも速ければ勝ちですし、遅ければ負けなので、そういうピリピリとした世界を楽しんでほしいと思います」出場できれば、5大会連続となるパラリンピックの舞台。そこではきっと、狩野亮選手の競技人生すべてが詰まった戦いがみられるはずだ。

狩野亮選手

PROFILE

狩野亮

狩野亮AKIRA KANO

1986生まれ、北海道綱走市出身。小学校3年生の登下校中に自動車事故で脊髄を損傷し、下半身不随となる。中学校1年生の時にスキーと出会い、長野1998冬季パラリンピックでのチェアスキーの滑りに感銘を受け、アスリートを目指す。2006年のトリノ冬季パラリンピックより4大会連続出場。2021年チームブリヂストンアスリートアンバサダーに加入。

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    鈴木猛史 インタビュー|パラアルペンスキー

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    今でもレース前には恐怖心が先立つという鈴木選手が、それでも挑戦を続ける理由とは?

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