創立90周年:ブリヂストン・マレーシアの軌跡

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出会いと別れが重なるこの季節、古いアルバムを見返してはあの頃を思い出し、少しばかり懐郷の情に浸る筆者です。

―今年はブリヂストン創立90周年-

節目の年にあたって、ブリヂストンの歩みを伝えられるエピソードはないかと日々思い巡らす筆者のもとに、ある日うれしい便りが届きました。

今から56年前の1965年、ブリヂストン・マレーシアの建設に携わっていた松尾さんという従業員のご家族から、お手紙とともに歴史の重みを感じるお写真が届いたのです。

手紙要約
わたしの父は、かつてブリヂストンで働いていました。
1965年、ブリヂストン・マレーシアの工場建設に関わって赴任し、その後家族(母、姉、私)も日本から現地へ引っ越しました。父が他界したのち、自宅にある古い写真やアルバムの整理をしていたところ、現地の写真や工場のパンフレットが出てきました。捨てるには惜しい気がしましたので、お送りいたします。必要ないものは処分してください。

ご家族から届いた箱を開けてみると、 工場のパンフレットや工場開設時の記念写真など、ブリヂストン・マレーシアを今に伝える記録の数々。貴重な資料を前に、広報部員一同目を丸くしました。

■ 同僚へのホスピタリティ溢れる松尾さん

ブリヂストン・マレーシアの外観(ご家族提供)

現在のシンガポール国内に位置していたブリヂストン・マレーシアは、1965年に操業を開始しました。当時重要な輸出先だったマラヤ(現マレーシア)とシンガポール地域向けの生産拠点です。建設時には約30名の従業員を現地に派遣したのですが、松尾さんもその1人としてブリヂストン横浜工場から赴任し、シンガポール工場推進本部に所属していました。

工場建設前の様子/中央が松尾さん(ご家族より情報提供)

松尾さんのご家族によると、「父はよく同僚を自宅に招いて食卓を囲んでいました。当時は単身で現地に赴任した従業員が多く、そうした従業員に日本料理をふるまっていたようです。休日は遠くまでドライブに行った記憶があります。車好きで、自分が乗る車のタイヤにもやはり強いこだわりを持っていたようですね」と振り返ります。

ご家族のエピソードから、松尾さんの温厚な人柄やブリヂストンへの愛着がうかがえますね。

■ グローバル化の礎を築いたブリヂストン・マレーシア

販路開拓や資金繰り等の苦しい局面を乗り越えて、無事1965年に工場の開所式を行いました。この開所式には、ブリヂストンの創業者・石橋正二郎も出席しています。

1965年 開所式の様子

戦後初の海外工場として操業を開始したブリヂストン・マレーシアは、 国内市場開拓と輸出拡大のための経営努力を重ねたものの、シンガポール政府の経済政策の転換などに伴って、工場は厳しい環境となり、操業から15年後の1980年には工場での生産活動を中止することとなりました。

しかしながら海外でのこうした経験はその後の当社のグローバル化を支える重要な基盤となりました。

過去の従業員と工場の軌跡、その延長線上に今日の90周年があり、そしてまた次の時代へと繋っていくのですね。ブリヂストンと従業員の軌跡が詰まった記録を受け取り、「がんばれ!ブリヂストン」と背中を押されたような気がしました。