ファイアストンタイヤを作ったハーベイ・ファイアストンはこんな人!

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つなぎを着て、農場の前でほほ笑んでいる写真の男性。
彼の名前はハーベイ・ファイアストン。
アメリカで生まれた伝統あるブランド「ファイアストン」の創業者です。

<ハーベイ・ファイアストン>

1988年、ブリヂストンは当時米国第2位の老舗タイヤメーカーであったファイアストン社を買収しました。この買収で、ブリヂストンは一気に世界シェアTOP3に名を連ねることになります。

このファイアストン社を1900年に創立したのがハーベイ・ファイアストンです。

<左端:ハーベイ・ファイアストン>

ハーベイは1868年にアメリカのオハイオ州の農場に生まれました。
農業を学んだあとに、ゴム製品に将来性を見出したハーベイは、馬車用のゴムタイヤを売り始めました。その後、自動車用タイヤにも目を向けて、1900年にファイアストン・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーを創立しました。史上初の量産自動車とも呼ばれるT型フォードが世に出たのが1908年ですから、その先見性はさすがです。

トーマス・エジソンとも交流があったというハーベイ。自動車業界の中で常に一歩先を行くことを目指し、最新技術をできるだけ多くの人へ届けるという使命を、彼自身と自社の技術者に課していました。

<前列左より:ヘンリー・フォード、トーマス・エジソン、ハーベイ・ファイアストン>

その先見性は、マーケティングの分野でも。モータースポーツを広告手法として取り入れたのは、ハーベイが世界初だったとも言われています。
過酷な環境で行われるモータースポーツで結果を残すことで、実証データを手にすることが出来るとともに選手のお墨付きという大きな広告効果を得られると考えたハーベイ。
自動車の世界三大レースのひとつである、米国インディアナ州で行われるインディ 500へのタイヤ供給を決め、1911年の第1回大会では、レイ・ハロン選手がファイアストンタイヤを装着したマーモン・ワスプで見事優勝しました。

<ファイアストンタイヤを装着して優勝したレイ・ハロン選手>

実は事業経営のみならず、文化にも造詣が深かったといわれるファイアストン。人々が音楽に親しめるよう、1928年より35年間もの間アメリカでラジオ番組のスポンサーを務めました。
ブリヂストンの創業者の石橋正二郎も、世の人々の楽しみと幸福のために音楽や絵画の普及に努めており、時代や国は違えども、二人の創業者には事業以外にも共通点があることが分かります。

ハーベイ・ファイアストンについてもっと知りたい!という方は、下記のビデオをご覧ください。
[ビデオ詳細] 音声:英語 字幕:日本語 再生時間:2分3秒

※ブリヂストンの詳しい歴史については、「会社情報:ブリヂストン物語」をご覧ください。 ⇒https://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/story/index.html