【ブリヂストンの師匠と弟子】日本代表を育てるスイミングスクールの熱い絆

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「ブリヂストン・アスリート・アンバサダー」に水泳選手である萩野公介さんを任命したブリヂストンは、実は“水泳”と長く深い関係があります。創業者 石橋正二郎が地域の学生の健康増進のためプールを小中学校に寄贈したり、競技水泳として国際舞台で活躍した従業員もいたりと、水泳との歴史は古くからありました。

今回は、そんなブリヂストングループにおいて、スイミングスクール、テニススクールなどを運営するブリヂストンスポーツアリーナ(株)で、福岡県のスイミングスクールを引っ張るお二人が登場。元気満点な課長と内なる野望を秘めた統括コーチの熱い絆は、今日もスクールを活気づけます。

[プロフィール]
[師匠]
ブリヂストンスポーツアリーナ(株)
管理本部 人事総務部 総務課 課長
梶原 洋祐さん

[弟子]
ブリヂストンスポーツアリーナ(株)
スイミングスクール太宰府 統括コーチ
松本 貞朗さん

厳しさの根っこにある温かさ、自分のやり方で受け継ぎたい

松本 中学生のときから同じ地区で水泳をしていて、お互いに顔は知っていましたよね。ほとんど話したことはなかったですが、怖そうな人だというイメージは持っていました(笑)。

梶原 実際は、すっごく優しかっただろ?(笑)仕事で関わるようになったのは、俺がスクールの支配人、松本が別のスクールの副支配人をしていたとき。当時成績が伸び悩んでいたスイミングスクール太宰府を3年で強くするという任務で、俺が統括コーチに指名したのがきっかけだった。

松本 はい。肩を並べて働く機会は少なかったですが、すぐに二人で飲みに行ったり、よく話をするようになりましたね。その頃抱えていた悩みをよく相談していました。でも、梶原さんのアドバイスはいつも「自分で考えろ」の一言。

梶原 ちゃんと自分の頭で考えれば良い答えが出せる男だと思っていたから、決して甘い言葉はかけなかった。真面目すぎるほど真面目で実直で、後輩にも口ではなく行動で示していた。実際スイミングスクール太宰府は強くなったし、今松本が教えている中学・高校生のクラスは、日本代表レベルに届きつつある。

松本 ありがとうございます。でも、そこには梶原さんに教わったことが多い。梶原さんは実はとても勉強熱心。支配人の仕事だけでなく、水球の国際レフェリーも務め、日本代表チームの試合や合宿での審判もこなす。そこで聞いてきた話を、熱く語ってくださいます。

梶原 仕事柄、トップアスリートやその監督と、交流する機会をたくさんもらっているからな。外の世界で自分が吸収したものをスクールに持ち帰ることで、少しでも新しい風、良い風を送りこめたらと思ってきた。

頼りになる相方と、どこよりも楽しいスクールをつくりたい

松本 本を読んで学んだことも、噛み砕いて教えてくださいましたね。

梶原 読書のことは秘密にしといてくれよ。イメージが崩れるじゃないか(笑)。でも、前に生徒から「松本コーチが『自分が先輩にしてもらって嬉しかったことは、自分の後輩に返してやれ』って言っていて、すごくかっこいいと思いました」って報告されたぞ。「あれ、俺が言ったことそのまんまやん」って心の中で思ったよ(笑)。

松本 バレてましたか(笑)。でも聞いた話を右から左に流していたわけではなく、本当に大事だと思ったから、自然と伝えていたんですよ。梶原さんと僕は、方法は違うところもありますが、「全従業員が自分らしく楽しく働ける環境をつくる」という同じゴールを目指していると思っています。

梶原 そうだな。自分が一番楽しく仕事をしたいし、実際楽しい。でも、勢い余って先走りしすぎてしまいそうになるから、松本はなくてはならない存在だ。感情的にならず冷静な思考で、みんなを巻き込んでいってくれる。今のスクールには、松本にあこがれている人がいっぱいいる。それが俺は嬉しい。今後は、スクール全体を引っ張っていってほしいと思ってるからな。

松本 僕もいつかは梶原さんのように、スクールをまとめ上げる立場に立ちたいです。でもまずは、コーチとしてもっと挑戦していきたい。今頑張っている生徒たちを、さらに強くして国際大会で勝てるように育てたいです。

梶原 俺も国際大会で水球のコーチでもっと活躍したいと思っている。一緒に世界の舞台で戦いたいな! これからもよろしく頼んだよ。

日本で7名しかいない、水球の国際レフェリーである梶原さん。将来はマイナースポーツの普及にも力を注ぎたいという

飲みの場では、梶原さんが松本さんにプライベートな相談をすることも。梶原さんの相談は「本当にくだらない」と笑う松本さん

中学・高校生クラスを指導する松本さん。生徒たちは週6日、学校が終わってから練習にやってくる